【その瞳に映るものA】 P:02


 嶺華大学は同じ嶺華だけど、こんな閉鎖的な世界じゃない。
「一琉ちゃんは、確認してるだけだろ?今まで一度だって反対してないじゃん…」
 ちゃんとわかってるだろうけど、他の生徒会役員にも伝えるつもりで話しかける。
 一琉ちゃんのやり方は、けして間違ってない。本来あるべき姿のはずだ。

 新卒の教員だってこともあって、一琉ちゃんは丁寧に仕事をこなしてくれる。
 今までオレ達が慣習に甘えていたことを、ひとつひとつ確かめ、軌道修正を図ってくれている。
 それはオレから細かい事務を任されるアキにとって、面倒なことなのかもしれないけど……こうやって時々みんなで立ち止まり、仕事の状況を把握するやり方が浸透すれば、結局はアキの仕事を軽くしてくれるはずだ。
「どうなってるの?って聞かれて、オレが説明して納得してもらって、それで進めてんだから、お前もいい加減慣れろよ」
 な?って。
 笑みを見せながら、オレはいつもするようにアキの前髪を軽く引っ張った。
 前髪を緩く後ろに流してるオレと違い、いつも真っ直ぐ下ろしてるアキの、視線を隠してしまう髪に触れるのは、安心して欲しいときオレがよくやる仕草なんだけど。
 でも今のアキはそれすら気に入らないみたいで、叩き落すような力で振り払う。
「なに日和ってんの…」
「アキ」
 言われた言葉に、オレは驚きを隠せなかった。
 すぐ落ち着いてくれると思っていたのに、アキの苛立ちはオレが思うよりずっと根が深いみたいで。
「馬鹿みたい。先生に媚売るなんて、そんなのナツらしくないよ」
 アキが唇を噛んでる。
 こういう顔をしてるときは、自分の暴走を自分で止められなくなってる証拠だ。
 視線を上げると、アキの向こうで直人がおろおろとオレたちを見比べていた。
「媚を売ってるわけじゃないって」
 なあアキ、お願いだから落ち着いて。
 柔らかく頬に触れようとしていたオレの手が、また叩き落される。
「何か弱味でも握られた?」
「落ち着けよ、アキ」
 とうとう口に出して促すオレのこと、アキは鋭く睨みつけた。
「落ち着いてるよ。落ち着いてるから聞いてるんだ。このキレイな顔に騙された?ねえナツ、笠原家の人間が、こんなどこの誰かもしれない教師に丸め込まれて、大笑いだよ。おじい様が知ったら、どんなに失望されるだろうね?」
 普通の状態じゃないって、わかってる。でもアキの言葉に、刺さったまま放っておいた胸の棘が、また少しだけじくりと深くなったのを感じた。
「どうせ先生も、笠原家の恩寵に預かりたいだけなんだから。そういうの、今まで何度も経験してるのに、ほんと懲りないよねナツって」
 気持ちを顔に出さないよう、努力してるんだけど。きっとアキにも、その後ろで心配そうにしてる直人にも、バレバレなんだろうな。

 アキが言う通り、オレはほんと肝心なところで甘いし、アタマ悪くて。そのせいで何度か、自分だけじゃなくアキにも嫌な思いをさせてる。
 中等部の頃だった。
 アキとの仲を取り持って欲しいと、オレに相談した女の子。可愛い容姿はアキの好みだったし、悪くない話だと思ったんだ。
 それで調子に乗り、いろいろ画策していたオレは、三人で話していた何気ない会話の中で、彼女がアキを選んだ理由を知り、愕然とした。
 彼女はアキが笠原の血を引く「長男」だから惹かれたのだと、アキとオレを前に堂々と言い放ったんだ。本当はどっちでも良かったんだって。
 どうせ同じ顔の双子なら、長男の方がいいという理由でアキを選んだと、そう口にした彼女のこと、オレが責めることはできない。
 だってさ、アキに紹介する前に、オレが彼女の意図を知るべきだった。ちゃんと調べておけば、そんな言葉をアキに聞かせる事態にはならなかったのに。
 彼女と、彼女に色々吹き込んだその親へのケリをつけたのは、オレだったけど。
 全部終わらせたからって話した時、アキは困った顔で笑って「彼女が言わなくても気付いてたよ」って言ったんだ。それから「後始末を任せてごめんね」って。
 何も悪くないアキに謝らせたことが、何より悔しかった。全てはオレ自身の浅はかさが招いたことなのに。

 ――愚かさを呪っても仕方ない。
 二度と同じ過ちを犯さないよう、自分に事実を刻むことしか出来ない。

 でも似たようなことは、その後何度も起こっていて……オレはその度、無様なくらいカラカラの声で、強くなりたいと祈ってる。同じ言葉ばかり、呪文みたいに。
 強くなりたい。
 ただ、強くなりたいんだ。
 たった一人で一族を守っている、オレのじいちゃんみたいに。