仕方ないじゃん。
毎日会ってるんだから!
……っていう理由に思い当たったのは、もう言い訳しても間抜けになってしまうくらい時間の経った、三日後のこと。
ナツに藤崎先生の話ばっかりだとかって言われて、それ以来自分でも気をつけてたんだけど……やっぱ、言ってる。藤崎先生の話、多いみたいだ僕。
でもそれは単に、僕が藤崎先生と毎日会ってるからなんだって。
そう気付いたのが、まさに今、化学準備室の前に立ってる時だって言うのが、抜けてると思うけどね。
放課後の校舎には、傾いた太陽が差し込んでかなり眩しいんだけど、一番その影響をうけるのが、この化学準備室。
ここは藤崎先生の根城。
先生は職員室よりここにいる方が多い。しかも私物化してんの。もう一人いる化学の先生が、専用の研究室貰ってるからって言って。ほんと新任のくせに図々しいんだから。
「…先生、いる?」
太陽の光が眩しい化学準備室には、いつ来ても窓の半分だけ、カーテンが引かれている。
声をかけてから扉を開けると、先生はいつものように、コーヒーを淹れてる最中だった。
「君は本当に、毎日毎日飽きないな」
淡い色のカーテンを背景に、アルコールランプ使って、いつ持ち込んだのか知らないサイフォンをくるくるやってるの。もう見慣れてしまった。
「来たくて来てるんじゃありません」
「ぼくは呼んでないよ」
「わかってますっ」
仕方ないじゃない。教員になった後でも研究を続けてる、もう一人の先生。伊藤先生は論文真っ最中で、生徒の相手する暇なんかないんだもん。
伊藤先生自身が言ったんじゃないよ。
来年には定年を迎えられる伊藤先生は、いつ生徒が行っても、ちゃんと相手をして下さる。ただせっかく論文が大詰めなんだから、邪魔しないようにしようって、ナツが生徒に声をかけてるから。
……伊藤先生には内緒でね。
「飲むだろ?」
当然の顔をして、藤崎先生が僕の分もコーヒーを注いでくれた。
「先生、ナツから差し入れ」
ここ最近、僕が放課後、一人でここへ来るから、別行動の多いナツは毎日のようにシェーナへ寄ってるみたい。いつも行ってる、学校のそばのカフェ。出掛けにナツが渡してくれたんだ。
「へえ…ナツくんは相変わらず、何かと気が回る子だな」
「…すいませんねえ、双子なのに気が回らなくて」
「卑屈なことを言うもんじゃないよ」
一応先生っぽく言いながら、藤崎先生はナツからの紙袋をがさがさ開ける。
「?…なに、これ。クッキー?」
「ビスコッティっていうんですよ。この店のは甘くないから、先生も気に入るはずだってナツが言ってた」
固焼きクッキーみたいな、イタリアのお菓子。ビスコッティ。
ワインに浸けて食べたりもするんだって言うと、先生は残念そうな表情で、それをしげしげ見つめてた。
「そんなこと言うなよ、飲みたくなるじゃないか」
小動物みたいな見た目を裏切って、結構お酒好きだという藤崎先生。
シェーナには普通にアーモンドや、もっと甘いチョコレート味のビスコッティもあるけど、ナツは先生がお酒好きだと知ってて、オレンジの入ったものを渡してくれたんだ。その選択は正しかったみたいで、嬉しそうに袋から直接つまんで、カリカリやってる。
「ちょっと先生、一人で食べないでよ」
「ナツくんがぼくの為に選んでくれたんだろう?」
「僕と先生の二人にっ」
「…がめついな…御曹司のくせに…」
「聞こえてますよ!」
ほんっとに。がめついのはどっちなの。
仕方なさそうな顔で先生がビスコッティをお皿へ移してくれるのを待つ間、僕は嫌々ながら鞄の中の問題集を取り出した。
首席合格ってね、そんな簡単なものじゃないんだよ。
でも嶺華では毎年、高等部の学年トップが大学部の首席になって、入学式で新入生宣誓っていうのを読むのが慣例になってるんだ。その役目を僕にやれって言うの。
容易く言ってくれるよホント……首席合格ももちろんだけど、僕が宣誓をするなんて。
僕たちの代では大抵そういうの、ナツの役目だったんだ。幼稚舎からずっとね。
聞いたときは本気で驚いたよ。だって人気もあるし慣れてるし、ナツの方がちゃんと出来るのは、先生たちだってわかってる筈なのに。
まあ入学式ではこっそりナツと入れ替わるつもりなんだけどね。
だから残る問題は、その首席合格っていう称号が、嘘も隠しも裏工作もナシだってことなんだ。
いくら期待してるって言われても、最初はあんまり気にしてなかったんだけどね。僕は合格できればいいんだし、ナツも気にするなって言ってたから。
でもなんだか年明けから、先生たちの目が怖いんだよ……必要なものは用意するとか、授業に出なくてもいいとか言い出してさあ。それで僕もようやく事態がわかってきたんだ。