オレが呟くとタケルは驚いた顔をして。ちょっと難しい表情になる。
「行きたくねえ?」
「いや…行きてえけど」
「けど、なんだよ」
「パスポート持ってねえし、金もそんなねえし…」
困った顔のタケルに、オレは思わず笑ってしまう。
タケルのこういう顔が好きだ。
黙ってると大人っぽくて、表情に乏しいタケルは、怖い印象さえあるんだけど。でもそれが崩れると、急に子供っぽくなる。ギャップがあって、カッコ良さと可愛さが同居してるんだ。
いいな、こういうの。
こんな風になれたらいいのにな。
「現実的だなあ…」
オレが呟くと、タケルはちょっと拗ねた顔になった。
「なんだよ…行きたいって言ったの、アンタだろ」
「そうだけどさ」
ああ……そうだな。
お前に会いたいとか、一緒にイタリア行きたいとか。オレの心はきっと、逃げ場を探してるんだろうな。
驚いただろうし、心配してるだろう。
オレが生徒会室を逃げ出したときの、みんなの戸惑う顔が思い出されて、ずしりと胸の辺りが重くなる。
繊細な直人にも余計な心配させたくなかったけど、あの時はもう、オレの方が限界で……さっきまでは本当に頭痛くて、息苦しくて。どうしようもなかったんだ。
いきなり黙ってしまったオレを、不審がるでもなく、タケルはただ黙ってじっと見ていてくれた。
「…今日もアキのこと、紹介してやれないな」
何度も何度も、自分に言い聞かせる。タケルが好きなのはアキなんだって。
ここへ来るように言ったとき、オレはアキに紹介してやると約束した。
でもまだその約束は、果たせていないんだ。
アキと一緒のときに会えたら、いつでも紹介してやるつもりなんだけど。タイミング悪くて、タケルはまだ一度もアキに会えてない。
まさか、今日はアキに仕事を押し付けて逃げて来たんだ、とは言えないオレの前で、タケルが苦笑いを浮かべてる。
「もういい。気にすんな」
「でもさ」
「アンタがいてくれただけで、オレがここに来た意味はあったよ」
タケルの穏やかな声に身体を包まれて、オレは本気で泣きたくなっていた。
優しいタケル。
今日のオレがオカシイの、気付いてるだろうに。
「そっか」
必死に笑みを浮かべた。タケルの気遣いに、応えたかった。
「…先輩?」
「タケルお前、オーダーは?」
「え?ああ…まだだった」
何も持っていないタケルの手元を見て、聞いてやる。この店は基本、セルフサービスなんだ。
「行って来いよ」
「先輩、でも」
「…待ってるから。な?」
オレが言うと、タケルは渋々って感じの顔で立ち上がる。
ちゃんと待ってるよ。
衝立の向こうにいなくなるタケルを目で追って、オレは自分の頬を軽くつねった。
なんて顔してるんだ。
ちゃんと笑えよ。
年下のタケルに心配かけて、どうする。
嶺華で初めて会ったとき、タケルは自分のことを「二年だ」と言っていた。
嶺華生だってのは明らかに嘘だったけど、あの咄嗟の言葉は本当だろうから。二年だっていうのに、偽りはないんだろう。
今でもちゃんと、オレのこと「先輩」って呼んでるし。
ほんとあいつ、律儀だよな。
オレがそう呼べって言ったから、ちゃんと従ってんだ。
でもそれは、アキのためなのかもしれない。アキと双子のオレだから、大事にしてくれんのかも。
タケルの優しさを疑うつもりなんかないけど、自分で言い聞かせてないと、つい甘えそうになるんだ。
しっかりしろって。
あいつにとってのオレは「アキの弟」なんだから。甘えてる場合じゃねえだろ。
しばらくして戻ってきたタケルは、なんだか困った顔で衝立の向こうから顔を覗かせた。
「どうした?」
片手には、いつもと同じアイスミルクティーが握られてる。
「先輩、あの…オーナーさんが」
戸惑う言葉に首を傾げると、タケルの隣から年齢不詳の女性が顔を覗かせていた。
「美沙(ミサ)さん…」
少女めいたその姿に、オレは柔らかく微笑んだ。
「お邪魔〜?」
「全然」
「じゃあ座ってもいい〜?」
「どうぞ」
立ち上がって、タケルとは反対側、左隣の椅子を引く。
シェーナのオーナーである美沙さんは、会話から察するに、オレの母親と同じくらいの歳だろうって思うんだけど。そういうのを全然感じさせない人だ。
いつも優しく笑ってて、明るくて。
でも眩しいとは感じさせない人。
オレが引いた椅子に近寄る美沙さんは、嬉しそうに微笑んでくれた。
「なに?上機嫌だね」
「だって〜。ナツくんいつも椅子引いてくれるでしょ〜?こういうの嬉しい〜」
美沙さんはいつもこういう、間延びした話し方をするけど。そういうの全部が陽だまりみたいな空気を作ってて、大好き。
「そうかな。普通やらない?」