「なんでそんな、いつも笑えんの」
苦しくて、思わず呟いた言葉。
零れた言葉がゆっくりアタマの中を一周して、オレは顔を上げた。
美沙さんとタケルが、オレのこと見つめてる。
「ご、ごめん!違うんだっ」
「ん〜?」
首傾げてる美沙さん。
ごめん、ごめんね。これじゃまるで、美沙さんのことを責めてるみたいに聞こえてしまう。
「嫌な気持ちにさせて、ごめん。本当にこんな酷いこと言うつもりじゃなくて。オレ美沙さんの笑顔大好きで、いつも救われてて、店で会えたら嬉しくて、だからオレ…オレもそんな風に笑えたらって思って、だから…」
どうしようもない言い訳を続けるオレの隣で、口元に手をあてた美沙さんがくすくす笑い出した。
「男子高校生に告白されちゃった〜」
ね〜?って、タケルに同意を求めるみたいに。
タケルは苦笑いを浮かべながら「わかってる」って言って、いつものようにオレの髪を梳いてくれる。
「美沙さん…」
本当に、ごめんなさい。
馬鹿な発言を許してくれる二人に、なんて言っていいかわからなくて。戸惑うオレに美沙さんは、そうねえ、と考える素振りを見せた。
「私がいつも笑ってるのは…ムリして笑ってるからかな〜」
「っ!…あ、オレ…」
オレ、最低だ。
ぎゅっと手を握って、下を向く。恥ずかしくて顔を上げられない。
そんなの、当たり前じゃん。美沙さんにだって、笑いたくない日は絶対にあるはずで。でもそれを、店へは持ち込まないようにしているだけ。
オレみたいに仕事を放り出して逃げたりせず、責任を持ってオーナーをやってるのに。なんて馬鹿なことを。
「ごめん、なさい」
唇を噛み締めてると、タケルが髪を梳いていた手で、慰めるように肩を撫でてくれたけど。緩く頭を振った。
客だから、ガキだから、何を言ってもいいわけじゃない。オレは今、あまりに酷いことを言ったんだ。
「先輩、顔上げろよ」
心配そうなタケルの声。どうしようもなくぎゅって目を閉じてると、女性の細い指先が、とんとん、とオレの手をつついた。
ゆっくり顔を上げて美沙さんを見たら、彼女はやっぱり笑顔で。
「ね〜えナツくん…このお店ね〜、シェーナっていう名前、意味知ってる〜?」
美沙さんは椅子に座り直し、テーブルに肘を突くと、オレの顔を覗きこんだ。
「…知らない…」
「あのね〜シェーナって、イタリア語で舞台っていう意味なの〜。英語で言うとステージかな〜。知り合いの劇作家やってる人がつけてくれたんだけど〜」
何かを思い出したのか、美沙さんは楽しげに笑った。ずっと年上の、優しい女性の声がオレの耳に響いてる。
ちらっとタケルの顔を見た。
テーブルの下、タケルがオレの膝に手を置いて、優しくさすってくれた。
「お店を始めた頃ね〜、なかなか上手くいかなかったの〜。ずーっと夢だったから、オープン出来たのは嬉しかったんだけど〜…私には経営とか仕入れとか〜そういう知識が全然なくて〜…あの頃はそういうの、吉野(ヨシノ)くんに任せたりしてなかったのね〜。信用はしてたんだけど〜私がやらなくちゃ〜!って思ってて〜」
カウンターの向こうでお客さんの相手をしているマスター。吉野さん。
あんまり店へは来ないオーナーに代わって、いつも夜遅くまでシェーナを取り仕切ってる。
「毎日お店にいても、全然楽しくなくてね〜。お店するの夢だったけど〜吉野くんに店ごとあげちゃおうかな〜とか本気で思ってたの〜」
美沙さんの話はまるで、ついさっき仕事を放り出して逃げ出したオレのことみたいに聞こえた。
思わず暗い顔をしてしまうオレの手、また美沙さんがつついてくれる。
「私、全然笑えなくなって〜。もう辞める〜!って思って…そしたらね〜。店の名前をつけてくれた人が言ったのよ〜。どうして役者は、舞台で笑えるか…知ってますか〜?って」
「…役者?」
「そ〜なの〜。自分の感情を持ち込まないで〜、役になりきって〜。ずっと笑っていられるのは、どうしてだと思いますか〜?って言うの〜」
辛さも苦しみも、絶対に見せない役者さんの話をされて、オレは首を傾げる。タケルを見たら、こいつにも話の展開がよくわからなかったのか、困った顔で眉を寄せてオレを見てた。
経営に行き詰っていた美沙さんを相手に役者の話なんて。その劇作家は、何を言いたかったんだろう?
意味がわからず顔を見合わせるオレたちに、美沙さんがふふっと小さく笑ってる。
「どうして〜?って聞いたら〜…ムリして笑うからですよ〜って教えてくれたの〜」
それは、さっきの美沙さんの台詞だ。
「毎日毎日ムリして笑うんですって〜。そんなの私には出来ない〜って言ったんだけどね〜…そしたら、だって舞台の上だけなんだから〜って。舞台を終えて役を離れたら、大声で泣いていいんですよ〜って言うの〜」