【その瞳に映るものD】 P:03


「お前の望みが叶って、嬉しいよ。オレのワガママに付き合わせなくて、良かったって思ってる」
 優しく髪を梳いてくれたナツは、くるりと背を向けて、用意してあったんだろう、自分の鞄を手に取った。
「早く帰って、父さんたちに顔見せてやれよ。二人ともすげえ喜んでるからさ」
「え…?」
 待って、なにその言い方?
「ナツは?ナツは帰らないの?」
「ん。オレは約束があるから、ちょっと遅くなるけど。先に寝といて」
 僕は目を見開いた。
 背を向けるナツは今まで見たことないくらい傷ついてる。普通に話してるのが不思議なくらい、今のナツは傷ついてるし落ち込んでる。
 ナツの全身から拒絶を感じて、僕は首を振った。
「誰と…?」
「…………」
 冷たい沈黙を認められずに、僕は声を荒げて問いただしていた。
「どこ行くのっ!ねえ、ちゃんと話してよ誰に会うの?!」
 なんてワガママなんだろう。自分は散々ナツに心配かけて、大事なこと何も話さなかったくせに。
 黙って行ってしまおうとするナツの腕を強く掴んだら、ナツはびくって震えて。手を振り払われてしまった。
「ナツ…っ」
「部屋、な」
 急に違う話を始めるナツ。
 どうあっても僕を見ないナツの唇が震えてる。何でもないって顔してるけど、青ざめてるのもわかる。
「近いうちに部屋を分けてもらうよう、父さんに頼んどいた」
「ちょ…待って、なにそれ?!」
 そんな話、聞いてないよ。なに勝手に決めてるの?
 驚いて言葉が出てこない僕に、ナツは疲れた顔で笑いかける。
「しんどいだろ?オレと一緒の部屋に閉じ込められてるの…。南側の客室にオレが移るから、お前は今の部屋を使いな」
 南側の客室……って、今の部屋から一番遠い部屋じゃない!
 閉じ込められるなんて、待ってよナツは何を始めようって言うの!?
「心配しなくても、父さんたちには適当に納得してもらえるようなこと、言っといたから。荷物の移動とか、そういうのもオレが考えるよ。アキは何も気にしなくていいんだ」
「ナツっ!」
 僕はナツの腕を掴み直した。
 もう振り払われても、絶対離さない。
「ナツ、待って…ねえ聞いて」
「…何を?」
「何って…だから、聞いてよ」
「もう知ってるって…。内進テストの三日前に進路変えて、会議に呼び出されて、一琉(イチル)ちゃんに庇ってもらって先生たち納得させたんだろ?絶対首席取るからって、宣言したんだよな」
「ナツ…」
 確かにナツの言う通りだけど、僕が聞いて欲しいのはそんな話じゃないんだ。
 悔しくて首を振る。
「僕の気持ちを聞いて欲しいって言ってるんだよ。なんでこんなことになったのか、それを聞いて欲しいんだ」
 そう言うと、ナツはやっと僕を見てくれた。でも真っ青な顔に浮かんでいたのは、疲れきった笑み。
「…いまさら?」
「ナツ、でも」
「聞いたってしょうがねえじゃん。もう決まったことだろ?良かったな、希望が叶って。…やっとオレから解放される」
「ちょ…何言ってんの?!」
 なに、それ?!
 ナツから解放って、いつ誰がそんなこと言ったんだよ!
「全然わかってないじゃん!」
「…わからねえよ」
「ナツ!!」
「オレには何にもわからねえよ…」
 自由な方の手で、ゆっくり僕の手首を掴んで。ナツから無理矢理引き離されてしまう。
 間近で視線が合って、僕はこうやって二人で目を合わせて話すのが久々だって、ようやく思い出して泣きたくなった。
 ――僕のせいだ。
 僕が逃げ回っているうちに、こんなにも遠く、気持ちが離れてしまった。
「…オレなんか、わかんねーことばっかだよ。自分のこともアキのことも、何もわからない」
 ナツは鞄を持ち直して、諦めたみたいに柔らい笑みを口元に貼り付けたまま、ぼんやり天井を見上げた。
「ごめんな…オレ、聞いてもわかんねえと思う」
「…………」
「だってオレら、もう何にも伝わってねえじゃん。お前の気持ちもオレの痛みも、わかんなくなってる。…せっかく話してもらっても、わかんねえんじゃ意味ないだろ」
「痛みって…どこか、痛めたの?」
 驚いて呟く僕を見て、ナツは苦笑いを浮かべていた。

 双子同士の絆とか奇跡とか、テレビなんかでよく聞くけど。僕たちはそういう、不思議な体験をしたことがない。
 ただ、唯一わかるのが、痛さなんだ。
 ナツが怪我したときには、離れていたって同じ場所が重く熱くなった。ナツが体調を崩したときも、不調を感じてる場所が重く感じてわかるんだ。
 その感覚は、ナツの方も同じ。
 子供の頃からナツは、両親より誰より早く、僕の体調の変化に気付いてくれた。
 双子で生まれた僕らが持ってる、他の人にはない感覚。
 でも最近、そんな風に思ったことはないから。僕はナツの言葉に、本気で驚いていた。
「どこ、痛めたの」
「もういいって」