「今のままじゃ無理だろうねえ」
「先生っ」
「だって君、そうとう情けないし。生半可な努力じゃ変われないよ」
あっさり言われ、僕は呆れてしまう。
慰めたり突き落としたり、この人は本当に。
「なんでそんな、意地悪なことばっかり言うかな、先生は」
「君を気に入ってるから」
「…どこが?!」
この、今の状況で気に入ってるなんて言われても!
混乱する僕をにやにや見ながら、先生は指先で僕の唇をたどった。
「キス、したじゃないか」
「したけど…」
僕をからかうのは趣味だって、言ってたじゃない。いきなりのキスで僕が混乱するのを、楽しんでただけじゃないの。
本当に僕のこと気に入ってる?
不信感を込めて先生を見つめると、先生は笑いながら肩を竦めた。
「誰彼なくキスするほど、ぼくは酔狂じゃないよ」
「…どうだか」
「君を気に入ったら、君を甘やかさなきゃいけないのかい?優しく頭を撫でて、甘い言葉をたくさん使って。辛いことから君の目を塞いであげるような、そんな存在がまだ必要?…それ、ナツくんと何が違うんだい」
「先生…」
「ぼくはナツくんじゃないんだ」
そんなこと、わかってるけどさ。
「見返りもなく優しくしてあげるほど、お人好しじゃないよ。無条件に愛されたいなら、今からでもナツくん追いかけてって、慰めてもらえばいい」
厳しい言葉に、僕は口をつぐんで下を向いてしまう。
ああ、そうだね。確かにそうだ。
僕はまた、甘やかされようとしてる。
大丈夫だよって、宥めてもらいたかっただけなんだ。これじゃ覚悟しても意味がない。
「君の目の前にいるのは、誰」
キスしていたときと、同じことを聞かれる。ここにいるのはナツじゃない。
「…意地悪で、悪趣味で」
それでもナツより僕を気に入っているといって、憚らない。
「綺麗で可愛い、藤崎一琉先生」
顔を上げて言う。
先生は満足げに笑っていた。
「よく出来ました」
「…うん」
機嫌の良さそうな先生を見上げる。先生はいつものしてくれるように、頭を撫でてくれた。
「…それも弟さんにするクセ?」
まるで幼い子供にでもするみたいな撫で方。あんなにも熱く唇を貪ってたくせに、今さら子供扱いはないんじゃないの、と。僕は上目遣いに先生を見つめた。
先生はきょとんと首を傾げ、自分の手と僕を見比べて、おかしそうに笑う。
「これは失礼」
そう言って、先生は触れるだけのキスをくれた。
「満足したかな?笠原クン」
にやにや笑いながら聞かれた僕は、拗ねた顔で「そこそこ」と答える。
癪に障るぐらい楽しそうに笑って、先生が離れていこうとするのを、僕はとっさに捕まえてしまった。
「?…なんだい?」
「あ、えっと…」
自分でもびっくりして、でも手が離せなくて。
ぼうっと見上げる先に、先生がいる。
うん、やっぱり。先生がそばにいてくれたら、僕はどんなに苦しくても、自分と向き合える。
先生に求めてるのは、ナツのような一方的なまでの庇護じゃない。
「…行かないでよ」
囁くのに、先生は優しく笑ってくれた。
「どこへも行ったりしないよ」
「そばにいて」
「いるじゃないか」
手を繋いだまま、体温を感じるくらい近くまで戻ってきてくれた先生の身体。ぎゅうって抱きしめる。
「ねえ、先生。見返りがあったら、ちょっとは甘やかしてくれるの」
先生がそばにいてくれるなら、頑張るけど。まだ僕は、全部一人で始められるほど強くない。
そんな一度に全部出来るようにはならないよ。ちょっとくらいなら、甘えさせてくれてもいいんじゃない?
交換条件のようなことを言い出した僕を、先生はわずかに首を傾げて見つめる。
「まあ、そうだね」
「…見返りは、なにがいい?」
先生は何が欲しいの?
尋ねる僕の髪を弄りながら、先生はそうだなあ……と思案する素振りを見せる。
それから、いつものように。
にやりと意地悪に笑って、囁いた。
「甘い言葉」
「…なに、それ」
「君がぼくに甘く囁くなら、満足した分だけ甘えさせてあげるよ」
どう?なんて。目を細めてるんだ。
「え〜…苦手なんだけど、そういうの」
先生の白衣に頭を押し付ける。
どうしよう……甘い言葉って、何を言えばいい?でもどうしても、僕はこの人を離したくないんだ。
しばらくそのままの格好で、髪を梳いてくれる先生の、華奢な指先を感じていた僕は、思いついた言葉に勝手に赤くなった。
こ、これは……ちょっと、恥ずかしいんだけど。それにこれって、甘い言葉?
でも他に思いつかないし。