【その瞳に映るものE】 P:03


 優しい声に囁かれて、どきっと胸が震えた。
 ああもう、ほんとお前。そんなオレのこと甘やかしてどうすんだよ。
 泣きたいんだか笑いたいんだか。辛いんだか嬉しいんだか、わかんなくなるだろ。
「じゃあ、急いで来いな」
『え?』
「だって、お前が言ったんじゃん」
『俺が?』
「そーだろ。自分を呼べって言っただろ」
 泣きたくなったら自分を呼べって、そう言ってくれたお前だから。
 オレの言葉にタケルは少し黙って、ゆっくりした声で「泣きたいのか?」って聞いてくれた。
 うん。そうだったけど。
 もういいんだ。お前の声を聞けたから。
「さっきまではな」
『なんだよ、さっきって』
「タケルの声聞いてたら、泣く気が失せたんだよ」
『…泣けばいいのに』
「ヤダ。泣かねえし」
 くすくす笑うオレにタケルは溜息をつくと、すぐに行くからって言ってくれた。
 
 
 
「もうほんと、やってらんねえ」
 シェーナで美沙さんと、ついでにマスターの吉野さんを捕まえて、オレはぐちぐち愚痴ってる。
 自分で思う以上に、アキと気持ちがすれ違ってしまっている話を避け、進路のことだけを話すオレに、大人の二人は気づいているはずなんだけど。追求はしないでいてくれた。
 タケルはまだ着いてない。
 なんかさ、アキとのことは美沙さんたち二人じゃなく、タケルに聞いて欲しいと思ったんだ。
「嶺華の伝統って言うけどさあ、うちのじいちゃんだって嶺華生なんだぜ?そんな古い歴史の中で、首席合格者が外部だったことがないなんて。ありえねえじゃん」
 前にもそれは調べてみたんだ。でも記録は残っていなかった。これって証拠隠滅なんじゃねえの?
「そこまで言うならさ、工学部の理系試験科目、選択にすりゃあ良かったんだよ。だったら最初から、アキは理Aで受けられたのに…」
「でも
アキくんが文学部に行くこと自体は、賛成なんでしょ〜?」
 にこにこ笑う美沙さんに言われ、オレは「まあね」と拗ねた顔を見せる。
「アキが自分で言い出すかな?って思ってたし。進路変わること自体は、全然構わねえんだけど」
「色々あんだろ。先生たちにも」
 店のフロアに気を配りながら、斜めに座ってオレの話を聞いてくれる吉野さんに言われてしまう。
「なに、オトナの事情ってヤツ?」
「上下関係なんざ、お前らガキより俺ら大人の方が厳しいだろ」
「え〜?そんなの吉野くんが言っても全然説得力ないよ〜」
 いつも店でお客さんと遊んでて、吉野さんに叱られてる美沙さんが、ふくれた顔でそう言うから。オレも同意して、二人で「ね〜」と顔を見合わせた。
「吉野くんね〜、ウチの店長になる前は、いろんなお店でケンカして、クビになってるんだよ〜」
「マジで?それでオレに説教するわけ」
「うるせえなあ。大体ナツ、お前は今まで生徒会長やってて、そういう嶺華の古臭い伝統に、慣れてたんじゃねえのかよ」
「そりゃ、そうだけど…でもさ」
 確かにオレは今まで、雁字搦めになってる嶺華の伝統ってやつと、さんざんぶつかってきた。
 新しいことをしようとするたび「前例がない」と言われて、毎回先生たちを説き伏せてきたけど。
「他の先生は嶺華に勤めて長えし、嶺華生のOBから教師になってる人もいるから、わかるんだけど。藤崎は外部からの入職なんだぜ?」
 そうなんだ。
 まさか一ヶ月や二ヶ月で、すっかり染まってるとは思わねえじゃん。
「なにかって言えば嶺華のことを『変な学校』って言ってた本人が、まさか学校の伝統の為なんかで、生徒唆してるなんてさ」
 他の誰がやっても腹が立ったと思うんだけど、藤崎がやったってのが、何よりムカつくんだよ。
 盛大に溜め息ついてると、肘突いてオレの顔見てた美沙さんが、ちょっと意味深な表情を浮かべて首を傾げた。
「ん〜…ひょっとして、何かオイシイことがあるのかな〜?」
「…どういう意味」
「例えば…特別ボーナスが出る、みたいなことか?」
 すうっと目を細めた吉野さんが、少し声を落として呟いた。
「…そんな感じ〜?」
 吉野さんの言葉に美沙さんは、はっきり頷いたりしなかったけど。その曖昧に笑う表情で、吉野さんと同じことを考えてたんだってわかる。
「…なんだよ、それ」
 考えもしなかったことを言われて、はっとする。確かにそういう可能性は、あるかもしれない。
「まあ想像だけど〜」
「アキの進路変えさせた新任教師に、特別賞与か。金の余ってる学校だな」
「だから想像だってば〜。ナツくんもそんな怖い顔しないで〜」
「いや…あるかもしれない。藤崎は入職してから引越してるし、両親からの経済的な援助も受けてないはずだ。…金の為なら動くかもな」