【その瞳に映るものE】 P:05


 凝視するオレの前で、ぎゅうっと眉を寄せたタケルが顔を上げる。
「先輩、俺…」
 黙って立ち上がり、鞄を手に取った。
 もう何も聞きたくない。
「ちょ、待ってくれ!嘘をついていたのは謝るけど俺は…」
 言い縋りながらオレの腕を掴むタケルの手、振り払う。
「嘘なんか、ついてないだろ」
 今までタケルと一緒にいた時間の出来事が、物凄い勢いで脳内に再生されていた。こんなときばっかり勘がいい自分に、吐き気がする。
 ああそうだ。
 オレが勝手に思い込んだだけ。
お前はただ、言わなかっただけだろ?自分のことを二年だとしか言わなかったし、もちろん藤崎一琉の関係者だなんて、一言も言わなかった。フルネームも名乗らず、学校の話も避けてたお前のこと、オレはもう少し疑うべきだったよな」
 後から気付いてもしょうがないんだ。
 オレはいつだって、やらかしてから気付く。大事なことをいつも見逃してる。
 絶望って二文字が、じりじりと身体を灼いている気がした。
「っ…違うんだ、兄貴のことは言えなかったけど、でもそれは…」
 焦りを浮かべ、懸命に首を振ってるタケルは、言葉を重ねるけど。その姿も声も、今は何も響かない。
「へえ?兄弟か。じゃあもしかして、お前のタケルって、一琉ちゃんと同じ琉の字を使ってたりする?」
「…武士の、武を使って…」
「武琉、ね。なるほど、気付かないオレが間抜けだったんだな」
 脳が熱くなってく気がしていた。
 自分のことを話したがらないタケルのこと、少し不思議には思ってたけど。まさかこんな話が隠れてるなんて。
「…アキを好きだってのは?あれもオレの勘違いか?」
 もう聞きたくないって思うのに、聞いてしまうオレを辛そうに見ながら、タケルが頷いている。
「あの日は…兄貴に会いに行ったんだ」
 ああ、なるほどね。
 自分の身体から、どんどん力が抜けてくのがわかるよ。オレたちは出会ったときから、全てを間違えていたんだな。
 そうじゃないか。オレだけが最初から、何一つ事実と向き合えていなかった。
「…思い込みで暴走してるオレを見てんの、面白かったか?」
「先輩っ」
 美沙さん、ごめん。オレもう笑えない。
「帰るよ。混乱してて、何を言い出すかわかんねえし」
 これ以上ここにいたら、誰彼構わず八つ当たりしそうで、自分が怖いよ。
「ナツくん〜…」
 心配そうな美沙さんの顔。いつものように微笑んでない。
 溜め息をついた吉野さんが立ち上がり、庇うようにオレの肩に手を回してくれた。
「オーナー、ちょっと外す」
「うん…お願い〜」
「いいよ、吉野さんオレ…」
「送るだけだ。黙ってろ」
 立ち去ろうとするオレを見て、何か言いたそうなタケルが、言葉を探して悔しそうな顔をしていた。でもオレを追いかけようとするタケルを制したのは、吉野さんだ。
「タケル、お前はここにいろ」
「で、でも」
「うるせえ。今のお前が何を言ったって、そんなものは言い訳だ」
 突き刺すように言われたタケルが、黙ってうな垂れてしまう。
 吉野さんに席から連れ出されてると、困惑しているまどかちゃんと目が合ったから、一応笑ったんだけど。上手く笑えているとは思えなかった。
 でもそのままにはしておけなくて、立ち止まる。
「まどかちゃん、だったよな?…変な空気に巻き込んで、ごめんな」
「あの、私なにか余計なこと…」
「そんなことないよ、心配しないで」
 平気平気、といびつに笑いかるオレのこと、吉野さんが力強くその場から引き離してくれた。
 オレに気付いた店内の嶺華生が、何人か声をかけてくれたけど、オレには何も応えられない。そのたびに吉野さんが代わりに返事をしてくれる。
 店の外へ出たら、肩に回ってた手がそっと外されて。背の高い吉野さんに顔を覗きこまれた。
「ナツ、
車回してくるから、ちょっと待ってろ」
「いいよ、そんな。平気だから」
「平気じゃねえだろ」
「平気だよ」
「ナツ」
 心配してくれる吉野さんに、自分は平気だと、頑なに言い張って。オレは自分の携帯で車を呼ぶ。
 いつも使うタクシー会社に連絡して待ってる間も、吉野さんは何も言わず、ずっとそばにいてくれた。
 やっと到着した車に乗り込むと、吉野さんが窓越しにオレを捕まえて。
「…なに?」
「ちゃんと帰るんだろうな?」
「帰るよ。当たり前じゃん。…家まで」
 オレがちゃんとドライバーさんに言うのを確かめ、今日はゆっくり休めって、吉野さんはやっと離れていく。
 バックミラー越し、送ってくれてるのを見ながら、溜め息を吐いた。
 大人だな、吉野さん。お見通しなんだ。
「…すいません」
「はい?」
「行き先変更してください」
 角を曲がってから伝える。
 こんな状態でアキの帰ってくる家になんか、戻れるはずもなかった。