一琉ちゃんの住むマンションは、嶺華のすぐそばだった。
ほんと、歩いて数分の距離。
嶺華に入職が決まってから引っ越したマンション。住所は知ってたけど、こんなに近いとは知らなかった。
それでタケルはシェーナへ来るとき、いつも着替えに帰ってたんだ。こんなに近いんだから当然か。
タケルの中学まではけっこう距離があるって話だけど、それでもあいつは自転車で通っているらしい。
部活もやってないのに、鍛えた身体してるのは、そのせいかな。
マンションへつくまでの間に、一琉ちゃんはオレの家へ電話をかけてくれた。
そしたら電話に出た母親が、すげえ心配して色々聞いたみたいでさ。電話切ってそっこーで「過保護だね御曹司」って嫌味を言われたんだ。
まあ、仕方ないよ。
アキが一緒ならともかく、オレ一人が連絡もせずに帰ってこないなんて、初めてのことだし。
二人で歩いてると、今度はアキが一琉ちゃんの携帯にかけてきたんだけど、一琉ちゃんは出ずに切ってしまう。
こういうのって駆け引きなのかな?
「一琉ちゃんって、実は性格悪いよな」
オレが言うと、口端を吊り上げて。
「かなりね」
と答えていた。
お前絶対苦労するよ、アキ。たぶん一琉ちゃんは、気に入ってる相手ほど意地悪になるタイプだと思うから。
オレを心配してるだろうアキのことを考えたら、一琉ちゃんにはアキと話してやって欲しかったんだけど。携帯の電源を落としっぱなしにしているオレには、あんまり偉そうなことがいえない。
ごめんな、アキ。明日まで待っててな。
8階建てのマンションに着いて、6階だと言う藤崎邸に案内してもらう。初めての建物が珍しくてきょろきょろしてたら、何度も「狭いからね」って念を押された。
なんも言ってねーじゃん……ほんとアキの言ったまんまだな、そういうとこ。
玄関を開けた一琉ちゃんは、しい、ってオレに黙ってるよう促した。わけがわからず頷いたオレは、言われた通り黙って後ろをついていく。
玄関を上がって、廊下を進んで。
ベランダと直通になってるリビング。明るい光の中で、笑えるくらいにわかりやすく、黒いものを背負ったタケルがこっちに背を向けてうな垂れ、座ってた。
――ああ、お前。後悔してんだ?
不謹慎かもしれないけど、ちょっと嬉しくなってしまう、オレの前で。一琉ちゃんは手近なところに置いてあった新聞を手に取ると、それでタケルの頭を軽く叩いた。
「兄貴?!」
驚いたタケルは一琉ちゃんを振り返り、そばに立ってるオレを見て、目を見開いてる。
「せんぱい…っ!何で、ここに…」
「ん…電話かけてくれたのに、出らんなくてごめんなって。言おうと思ってさ」
オレが答えると、タケルは千切れそうなくらい何度も首を振って、そのまま肩を落としうな垂れてしまう。
一琉ちゃんはそんな弟の様子に、ちょっと呆れた表情を浮かべながら、ふと何かに気付いてオレを見上げた。
「ナツくん、武琉に自分のこと先輩って呼ばせてるのかい?」
「まあ、成り行きでね」
「…ふうん?」
意地悪そうな顔。
でももう、今となっては、その方が一琉ちゃんらしいって思えた。
「なに、一琉ちゃん」
「呼ばれたかったんだ、先輩って」
「あ〜…バレた」
「誰もそう呼ばないからね、会長」
まだ手にしてた新聞で、軽く背中を叩かれ、オレは苦笑いを浮かべて頭を掻いた。
そうなんだよな。嶺華ではみんなオレのことナツとか会長とかって呼ぶから、めったに先輩って呼ばれることがなくてさ。
いいじゃん、そういうの。
ちょっと憧れてたんだよ。
一琉ちゃんは手にしていた新聞でもう一度タケルの頭を叩いて、それをソファーに置いた。
「ナツくん、お腹すいてる?」
言いながらキッチンへ入っていく。
「いや、あんまり」
「今日は武琉のお手製シチューだよ。食べれば」
その言葉に驚いて振り返ったら、タケルが居心地悪そうに突っ立ってた。まるでタケルの方が来客みたいな顔してるんだ。
その顔見てたら、なんだかほっとして。
同時に不思議でしょうがない。なんで全然気がつかなかったんだろ、オレ。タケルが中学生だって。
そりゃ体格はいいけどさ。
「…料理、するんだ?」
「うちは兄貴と二人だから…」
いい訳みたいな言葉だな。いいじゃん、料理でも何でも出来る方が。オレなんか全然したことないもん。
「ナツくん、食べるかい?」
「じゃあ遠慮なく。いただきます」
「武琉も一緒に食べたら。夕飯のとき、全然食べてなかっただろ」
黙って頷くタケルに、一琉ちゃんはぽんぽんと言葉を浴びせていく。
「温めてる間にシャワーでも使ってきて。武琉、着替え」
「俺の?!」
「ぼくのじゃ小さいだろ」
「そうだけど…」