【その瞳に映るものF】 P:05



 自分勝手な行動で、ナツに同じ思いをさせたことを、改めて噛み締める。僕が別の道を進むと勝手に決めたとき、ナツはどんなに辛かったろう。
 周囲を気遣って、泣くことさえ出来なくて。ナツは一人で耐えたんだ。
 誰にも頼らず、唇を噛み締めて立ち上がった。
 何も知らずに酷い言葉をぶつける僕のことを、許して。勝手に歩き出した僕を、黙って見送ってくれた。
 その結果、ナツは僕から遠く離れていってしまったんだ。
 手の届かないところまで。

 ナツに比べたら、僕はずっと幸せなのかもしれない。
 僕が孤独にならないよう、ナツは藤崎先生や両親を、そばへ置いていてくれる。自分がそばを離れても、僕が一人にならないように。
 ――でも、ナツ。
 苦しいよ。僕には耐えられない。誰がそばにいてくれたって、ナツの代わりになんか、なるはずがない。
 ナツの優しさが嬉しくて、辛くて。痛みに涙が止まらない。
「…僕、外部から嶺華大学を受け直す…」
 目元を拭いながら呟いた。
 ごめんね、先生。せっかく相談に乗ってもらったのに。
「もう一度勉強して、工学部を受け直す」
「アキ、くん?」
「やっぱりナツと同じ道へ進む…もう、一人は嫌だ…」
 きっとナツは、僕が文学部を受けたって知ったとき、今の僕より何倍も苦しんだよね。本当に何の相談もなく、突然勝手に走ろうとした僕は、自分が辛くない方法ばかりを探してた。
 ナツが一人きりでどんなに苦しいかなんて、考えていなかった。
 先生がどんなにワガママでもナツより僕がいいって言ってくれて。その先生が僕に自分の夢を探しなさいって言ってくれて。有頂天になっていたのかもしれない。
 こんなことで償えるのかどうかわからないけど、もうナツのそばを離れないから。
「…本気で言ってるのかい?」
「うん…」
「それが君の答え?」
 先生を見上げる。綺麗な顔が、少し青ざめているようにさえ思えた。
 ごめんね、先生。ごめんなさい。
「先生が、好きだよ」
「…………」
「たぶんずっと、僕は先生を好きなままだと思うけど。それでもナツと一緒にいたいんだ…」
 先生の顔を見てるだけで、今もドキドキするけど。でも僕は、こんな大きな代償を払えないから。

 先生の手がもう一度伸びてくる。
 慰めてくれる手が、いつものように髪を梳いてくれるんだって思って。目を閉じていた僕は、やっぱりまだまだ甘えていたんだろう。
 予想に反し、先生はいきなり僕の胸倉掴んで引きずり上げた。
「せ、先生?」
「面倒な子だね、君は」
 睨み付ける目が本気で怖い。
 この細い身体のどこに、僕を引き上げるほどの力が眠っていたのか。引きずられるまま立ち上がった僕は、メガネの奥から向けられている本気の怒りに、背筋を凍らせていた。
「ようやく弟離れが出来たのかと思ったら、出した答えがそれなのかい?」
「あの、せんせ…」
「ナツくんが一生懸命自分の足で立とうともがいてるのに、君はまだそんな甘えたことを言うんだね」
 ぱっと手を離されたかと思ったら、体制を立て直す暇もなく、思いっきり頬を叩かれる。
「っ!」
「いつまでも甘ったれるなっ!」
 叩かれた頬に手をあてて、呆然と先生を見つめた。痛いっていうより、熱い。
 自分の顔が腫れてくのがわかるなんて、初めてだ。
 先生は叩いた手で、もう一度僕の襟元を掴み上げる。
「なんだそれ?そんなことで、全部なかったことに出来ると思っているのか?」
「だ、だって」
「また君はそうやって、ナツくんから全てを奪うのかい?全部放り出したナツくんにアタマ撫でてもらって、ナツくんを自分だけのモノにすれば気が済むとでも?」
「違うよ、僕はっ」
 もうナツから何も奪う気なんかない。今度は僕が、自分の持ってるものを全部差し出して、ナツのそばにいようって。
 そう言いたいのに、先生は聞く耳を持ってくれなかった。
「もういい」
 突き放すように手を離されて、思わず咳き込んでいる僕のことを、先生は許したわけじゃないらしい。
「君がバカなのはよくわかった」
「せん、せ?」
「言ってわからないなら、身体に教えてあげるよ、アキくん」
 脅迫みたいなセリフを吐き捨て、先生は僕の腕を掴んで歩き出す。乱暴に生徒会室のドアを閉め、戸惑う僕を引きずって、先生は学校を後にする。
 痕が残りそうなほど強い力が、腕に食い込んでいた。
 
 
 
 
 さすがに校外までは掴んでいられなかったみたいで、腕を離してくれたけど。ついて来い、と低く恫喝する先生に逆らうことが出来ず、僕は先生と一緒に歩いてる。
 時折見上げてくる、怒りに冷たくなった視線が怖い。
 時々どうしていいかわからずに立ち止まると、先生が足を止めずに振り返って、睨むんだ。背筋が凍るように感じて、慌てて追いかけて。その繰り返し。