「ナツくんが迎えに来てくれるから、マンションの下で待ってなさい」
先生はそれが当然って顔をするんだ。僕は理解が追いつかず、言葉が出てこない。
武琉くんは慌てて先生の腕を掴んだ。
「ちょ…なんでナツ先輩の名前が出てくるんだよ?今すげえ忙しいって、兄貴も知ってんだろ」
「知ってるからキャンセルさせたんだろ。予定空けてくれるってさ、良かったね」
「なに勝手なこと…」
「お前は今夜、ナツくんのところへお泊りだから」
「…………。ええッ?!」
驚く武琉くんを、先生が乱暴に外へ蹴り出した。勢いに負けて、マンションの廊下に座り込んだ武琉くんは、呆然として先生を見上げてる。
「ナツくんの家は、こんな狭いマンションと違って、広いお屋敷だろうから。迷惑かけないよう気をつけなさい」
「…兄貴、ちょっと」
「まだ何か文句があるのかい?優しいお兄様の心根に感謝して、ニブい生徒会長の攻略でも考えてろ」
先生の言葉に、立ち上がれないままの武琉くんが顔を真っ赤にしてる。そんな弟の様子に、先生はわざとらしいくらい綺麗に微笑んでいた。
「頑張れ武琉。じゃあな」
バタン、と閉まった重いドア。
その向こうで武琉くんがどんな顔をしているか、僕に知る術はない。
強引に武琉くんを追い出してしまった先生は、再び僕をリビングへ追い立てると、ソファーへ座らせた。
でもそれ以上何も言わずに、僕の隣へ腰掛けて足を組んでる。
先生がとてつもなく不機嫌だっていうのは、わかるんだけど。このまま黙ってるなんて、耐えられないよ。わからないことが多すぎる。
何で僕をここへ連れてきたの?武琉くんが邪魔ってどういう意味?
それよりナツが自分の予定をキャンセルしてまで、武琉くんを迎えに来るって。どういうこと?
「…ナツと武琉くんは、そんなに親しいんですか?」
恐る恐る聞いてみる。
じろりと睨まれて、身を竦めるけど。
先生はあっさり「そうだよ」と答えてくれた。
「この一ヶ月は、君より武琉の方がナツくんと話してるだろうね」
「え……」
「毎日マメにメールしてるようだし、日本にいるときは毎晩、電話で話してるみたいだから」
言葉を失う僕に、先生は意地悪く笑っていた。
「さっきの話の通りだよ。会えない時間を埋めるように、ナツくんはせっせと武琉に貢いでる」
お菓子ばっかりね、と。辛党の先生は溜め息をついた。
そういえばいつだったか、弟が大の甘党だって言ってたけど。だからって、どうして先生の弟とナツが?
うまく考えが纏まらない。
「どういう…ことですか?」
わからないよ、先生。僕の知らないところで、何が起こってるの?
「つまりナツくんは、とっくに一人ぼっちじゃないってことだよ」
「…え?」
「君と違って、彼はうわべで人付き合いをしないから。辛くなれば自然と、助けてくれる人が集まるんだ」
じろっと顔を覗きこまれる。僕は突きつけられた言葉に唇を噛んだ。
知ってるよ、知ってる。
ナツのことを知れば知るほど、みんなナツに惹かれていくんだ。
誰かが傷ついたら、心から心配して。助けを求められれば、自分のことなんか全部後回しにして駆けつける。
そんなナツの行動が、一方的なものであるはずはなくて。ナツの心を受け取った人たちは、ちゃんと思いを返してくれる。
僕みたいに、ナツの後ろに隠れて、適当に他人の気持ちを流してる人間には得られないもの。ナツはたくさん手に入れてるんだ。
じくっと胸が痛んだ。
僕は自分のワガママで、そういうナツの大切なものまで、奪ってきたんだろうか。
「…武琉に誘われて、このあいだ君たちの通ってる店、行って来たよ。シェーナだったかな」
「うん…」
「行ってみてやっとわかった。君は何かといえばナツくんのことばかりだけど、それは君に限ったことじゃないんだね。店の人たちから出る言葉は、ナツくんのことばかりだ。忙しくて顔を出せないナツくんのこと、みんなが心配して、みんなが会いたがってる」
「…………」
「どこへ行っても、生徒会長サマは人気者だ。君とは大違いだね」
僕はぎゅうっと手を握っていた。
ナツを取り囲む、優しくて温かいもの。もうそこに、僕の居場所はないのかな。ナツの夢を追いかけるぐらいじゃ、振り返ってもらえない?
爪が食い込む僕の手を、先生が上から握ってくれた。
「言い飽きた言葉だけどね。君とナツくんは違う人間なんだ」
「わかってるよ…」
「わかってない。君はナツくんより許容量狭いし、自分以外の存在に対する依存度も高いだろう?」
欠点をずばずば突き刺されて、僕が唇を噛んでると、先生はその唇に重ねるだけのキスをくれた。
「…ナツくんみたいには、なれないよ」
「先生…」