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人の親になるには、少々欠けたところのある人たち。自分たちが武琉に避けられていることにも気付いていない。
まあそれでも、ぼくは彼らが好きだし。紡ぐ音の良し悪しがわからなくても、その音楽に対する真摯な姿勢を愛してるから。
武琉のことをぼくが引き受けたのも、当然のことだった。
「普通の公立なら、月1万くらいかな」
「あら。じゃあけっこうするのね」
「でも設備や制度を見れば、頷けることも多いよ。教育にお金かけてる」
「校長先生が、母さんのファンだと聞いたんだが」
「そうだよ。ほんとそれに救われた。おかげで就職出来たんだから。面接では母さんの話しか、聞かれなかったんじゃないかと思うくらい」
本当にね。アキを手に入れられたのも、母さんのおかげかな。
「じゃあ今度、その校長先生にチケットでも渡してもらおうかしら」
「喜ぶと思うよ」
「いやツアーはもうチケットをお持ちかもしれないな…どうだろう?嶺華でミニコンサートをするというのは」
「え…」
それはちょっと、話が飛びすぎなんじゃないの?
「あら素敵。見てみたいわ、一琉の働いている学校」
「いやそれは…学校に聞いてみないと、なんともね」
話せば校長先生は飛びつくだろうし、ナツくんも都合をつけてしまいそうだけど。どうにも両親が職場へくるなんて、面倒くさい。
「今年は何校か、ツアーの途中に学校を訪問するんだよ」
「そうなんだ?」
「同じプログラムでいいなら、スケジュールを調整するから」
「ん…まあ、その。聞いてみるよ」
「今回は一か所だけなんだけど、お父さんと二人で行くのよ。久しぶりに人前で、お父さんと一緒に演奏するのが嬉しいの」
「最近は指揮ばかりだったから、指が動くか不安だがね」
「確かクロイツェルをやって欲しいっていう話なんでしょ?頑張ってね、あなた」
「…くろい?」
何が黒いって?黒い杖?
全く音楽の知識のないぼくは、こういう話になると、ついていけなくなる。
顔を見合わせる両親は、楽しげに笑って立ち上がった。しまった聞かなきゃ良かったな。
「…武琉、どんな曲?」
いそいそとバイオリンを取り出す母さんを目の端に止めながら、小声で聞いてみるけど、武琉は憮然とした顔を崩さずに「知らない」と呟いた。
「知らないわけないだろ。ナツくんとは話が出来ても、ぼくとは出来ないって?」
むっとして言うのに、溜め息を吐き出している。
何がイヤなんだ……音が大きい曲だと近所迷惑だって、そう思っただけだよ。
「ベートーベンの曲だよ。けっこう難しい曲で、ピアノとバイオリンが…」
説明を途中で中断し、武琉は顔を強張らせた。
「?…武琉?」
視線の先では、父さんがピアノの前に座っていて。蓋を開き、鍵盤を押している。
「…っ!」
「おや、調律が出来ているね」
「え?どうして…だって、随分とほったらかしなんでしょ?」
確かめるように短い曲を弾いて、父さんが振り返った。
「一琉、業者を呼んだのかい?」
「…何の?」
「なら武琉なんだね」
確信をもって言われた武琉は、慌てて立ち上がると、その場を逃げ出そうとする。
なんだかわからないけど……そんなことまでわかるんだ?ピアノを最近、誰かが弾いたかどうかなんて。
ぼくは素早く手を伸ばし、武琉の腕を捕まえた。
「待ちなさい」
「もういいだろ!メシ食ったし、後は勝手にすればいいじゃないかっ」
どうしてもピアノを弾いている事実から逃げたがる武琉。あんなに毎日必死で練習しているのに、誤魔化してる必要がどこにあんるんだ。
「父さん、武琉だよ。武琉が最近、ピアノの練習してる」
「兄貴っ」
お前が睨んだって、怖くはないんだよ。
震えるくらいに動揺している武琉を座らせ、肩を押さえた。
「きっかけがあってね。教室へは通ってないけど…そこに楽譜が置いてあるだろ?」
「ん、これかい?」
「そう。それ武琉のだよ」
ぼくの言葉を聞いて、武琉の隠していた楽譜を見つけ出した父さんは、それをぺらぺらめくり始める。
しばらく厳しい表情で見ていたかと思うと、穏やかな声で「ジャズだね?」と武琉に聞いた。
「ジャズ?武琉、ジャズピアノをやっているの?」
「どうしたんだい、なぜ隠すんだ?もちろん私たちはクラシックの演奏家だが、ジャズが奥深い世界だということも、理解しているよ」
そっと武琉から手を離した。下を向いて顔を上げない武琉。
ぼくは今まで、毎日聞いている曲がジャズだということさえ、気付かなかった。
専門分野の話は、ぼくではわからない。
もし武琉が何かで行き詰っても、けして役に立ってやることは出来ないんだ。