【その瞳に映るものI】 P:04


『タケル?』
「全然、大丈夫だから。兄貴も酔っ払ってるだけなんだ。帰って来た親と一緒に、ずっと飲んでてさ。…アキさんに心配しないよう、伝えといて」
『…………』
「それよりアンタ、明日から海外行くんだろ?早く寝た方がいいんじゃねえの」
 千夏はちゃんと俺に、自分のスケジュールを教えてくれる。
 会いたいと思ってる気持ち、会えないでいる状況、全部説明してくれるんだ。
 ほんと言うと、千夏の話は難しくて、説明されてもわからないときがある。帰ってからネットで調べたり、兄貴に聞いたりするんだけど。
 知れば知るほど、自分と千夏には壁があるみたいに思えて辛かった。
 ……大人なんだよな。
 まだ高校生だけど、世間じゃ誰も千夏を子供扱いしてない。
 あんな風になれたら、俺も一人で生きられるんだろうか?
『…そっか』
「うん」
 ちょっと不満そうな声だ。ごめんな。
 話そうにもあまりにくだらなくて、千夏みたいなすごい人には言えやしないんだ。
 電話の向こうで、小さくコツコツと何かを叩く音がする。あれは千夏が、考え事をしているときのクセ。
『なあ、タケル』
 名前を呼ばれ、思わず身体を固くする。千夏はめちゃくちゃ勘のいいから、何かバレるようなこと言ったかな。
「平気だって」
 先回りして言うけど、俺の先走った言葉は、千夏に笑われただけ。
『それはわかった』
「う、うん」
『わかったから、別の話』
「え?」
 別の話?……何、言うんだ?
『お前さあ、まだ寝ないのかよ?』
 ……なんだ、そんな話か。
 緊張していた俺は肩の力を抜いて、千夏にもらったブレスに触れた。気持ちを落ち着けたいとき、これに触るのはもう、クセみたいになってる。
「いや…もう寝るよ」
『ふうん…じゃあ、明日何時に起きる?』
「明日?明日は…えっと」
 部屋の時計を見上げる。もう1時半だ。
 兄貴は母さんから、買い物に付き合って欲しいとか言われてたけど、俺にはそんなものに付き合うつもりないし。千夏がいなきゃ、夏休みなんて退屈なもの。
「9時くらいかな…」
『遅っせーよ』
「だって…夏休みだし」
 何も予定がないんだから。休みの日なんて、そんなもんだろ?こんな状況で出掛ける気はないし、夏休みの宿題なんか、もっとする気になれないよ。
 でも千夏は明るい声で、学校があるときでも起きないような時間を言い出した。
『6時には起きられないか?』
「6時?!」
 そんなに早く?
 もう1時半を回ってんのに?
『無理?』
「先輩…早いって…」
『6時に起きたら、6時半には来られるだろ?…出て来いよ』
 言われた場所は、うちから自転車で10分くらいのところにある、24時間営業のファーストフード店。
「ナツ先輩…」
『やっぱオレ、お前と十日も会わないなんてムリ。朝メシくらい一緒に食いたい』
「あ…」
『一時間ぐらいしか、時間取れないけど。出て来いよ』
 ……全然、敵わない。この人には全部お見通しなんだ。
 俺が会いたいって叫んでるの、聞こえたんだろ?何も言ってないのに。
 手首にはまってるブレスを見つめた。甘い飴色は、千夏の瞳を思わせる。
『タケル?』
「…………」
『黙んなよ、寂しいじゃん』
「…………」
『タケルってば。なあ、繋がってんだろ?なんか言えって』
 自分の手首に唇を寄せた。
 千夏が俺を気遣ってくれるってわかる、こういう瞬間に思うんだ。この人が本当に好きなんだって。
「ナツ先輩」
『うん』
「…絶対行く」
 少しの時間でもいい。どうしても会いたい。アンタの顔が見たい。
 千夏のくすくす笑う声が聞こえてくる。じゃあ明日6時半な、って優しい声で囁いてくれる。
 本当はありがとうって、言わなきゃいけなかったのに。それを思い出したのは、電話が切れた後だった。
 
 
 
 ごろりとベッドに転がって、もうとっくに切れた携帯を握り締める。
 最後に囁いてくれた「おやすみタケル」っていう甘い声が、耳の中でじんじん響いていた。あの声、もっと近くで聞きたかったな。
 もっとそばで。息が触れるくらい近くで聞きたい。
「…千夏…」
 まだそう呼ぶことを許してもらえない、特別な名前を口にして、俺はごそごそ自分の服を探った。
 クーラー入れっぱなのに身体が熱い。俺の身体に火をつけるのは、いつも千夏だ。
 最初はあの人が落ち込んでて、俺に「そばにいて」って言ったとき。
 縋るみたいに俺の手を掴む千夏が、あまりにも可愛くて。
 それまでも、きれいだとかカッコイイとかは思ってたけど、あんな可愛い顔されると思ってなくて、驚いた。
 この部屋に千夏が泊まった日の後からはもう、全然止まらなくなった。