【その瞳に映るものJ】 P:02


 でも、たった9歳の子供に、一体何が出来ただろう?

 痛みに気を失い、身動きが取れなくなったぼくは、目を覚ました後で自分が武琉を守れなかったのだと知った。
 のちにしばらく新聞を騒がせた、音楽一家次男誘拐事件だ。
 真っ青になっている両親。泣くばかりの祖母。駆けつけた警察。ぼくの手当てをしてくれた顔なじみの医者。大人たちの緊張した様子に、事態の大きさを悟った。
 たぶんあれが、ぼくの人生にとって最初の後悔であると共に、屈辱だったと思う。
 父との約束が守れなかったこと。
 大事な武琉を守れなかったこと。
 ぼくのせいだ、と呟いた9歳の子供を責める大人はいなかったし、父も母もぼくを抱きしめて「お前は悪くない」と囁いてくれたけど。誰よりぼく自身が、無力な自分を責めていたんだ。

 武琉を連れ出した女は、三日後に自分の手で武琉を抱いて、戻ってきた。
 お手伝いさんとして派遣されていた彼女が、過去三度の流産を経験し、ようやく生まれた我が子も、一歳の誕生日さえ迎えられずに失っていたのは、武琉が戻ってきてからわかったこと。
 世間は彼女に同情し、ぼくの両親さえ寛大な処置を願い出た。

 良かった、と。人は言うかもしれない。
 最悪の中の最良のケースだったと。
 でもぼくは、あの時の悔しさを忘れられないんだ。自分の無力を痛感した、あの日の出来事を。
 
 
 
 メガネをかけていないせいだとばかり思っていた、ぼんやり滲む視界。ふと自分の頬に触れたぼくは、指先を濡らす涙が自分のものだと気付いて驚いた。
 事件の直後ならともかく、今さら夢に見て泣くなんて。自分にまだそんな弱さが残っているとは思わなかった。
 心身ともに鍛えたくて始めた空手が、ぼくを強くしてくれたから。自分の中の結論は、もうついてる。
 ぼくが悪かったわけじゃない。
 たとえあの当時、すでに空手を習っていたとしても、彼女を止めることは難しかっただろう。
 冷静になればなるほど、ぼくは自分が、当時出来るだけのことをやったのだと考えることが出来たんだ。

 それでもこうして、武琉と離れて初めて気づくことがある。
 長引く海外ツアーが決まった時、武琉を連れて行くつもりだった両親に、自分が面倒を見るからと訴えたのは、きっとあの事件があったから。
 両親がぼくの思いを受け入れて、まだ幼かった武琉を日本に置いていってくれたのも、それがわかっていたせいなんだ。
 忘れていたつもりはなかったのにね。
 時間と共に、悔しさが風化していたのかもしれない。
 まさかこんなに辛い思いをするなんて。

 ずっと手元で育てていた武琉。
 年の離れた弟の存在は、面倒だと思ったことも、鬱陶しいと思ったことも、なかったと言ったら嘘だ。
 苦手だった家事から逃げたかったこともある。高校、大学と、遊び呆ける周囲の友達を羨ましく見ていたこともあった。
 自由になった方がいいと、両親に言われたとき、確かにぼくはアキの顔を思い浮かべていた。
 武琉に何も言ってやれなかったぼくは、いま一人で無様にうろたえている。
 情けないな……こんなことなら「武琉の思うようにしなさい」なんて、偉そうに言うんじゃなかった。

 唐突な両親からの提案。
 ピアノの練習を再開した話が、まさか今すぐ武琉を引き取る、なんて話に繋がるとは思わなかった。
 いや、この両親の提案は、唐突だったけど遅かれ早かれ、息子たちに提示されていただろう。ぼくに苦労をかけている、という言葉は今までも、会うたび聞かされていたセリフ。
 だからぼくが一番驚いたのは、両親のことじゃなくて。
 物心ついて以来ずっと、親よりぼくに懐いていた武琉が、自ら両親の元へ行く、と言い出したこと。

 両親が日本に帰国した翌日の朝、武琉はいきなりこの家を出ると言い出した。両親と共に実家へ住み、その後、二人の日本ツアーが終わったら一緒に海外へもついて行くつもりなのだと。
 どうしたんだろう。
 やっぱりきっかけは、ピアノだったんだろうか?それを言われるとぼくには、何も口出しが出来ない。
 音楽というものにかける彼らの情熱を、ぼくは少しも理解することが出来ないのだから。

 武琉は荷物をまとめ、大人になりたいんだ、という言葉を残して、この家を出て行った。
 両親の喜びようは大変なものだったし、武琉がそれを望むなら、ぼくに反対する理由はない。
 だから「思うようにしなさい」と、背の高い武琉の後ろ姿を見送ったんだけど。
 ……でも。それでも。
 初めて手に入れた一人の生活に、ぼくはどうしても慣れることが出来そうにない。