くすくす笑うアキに肩を抱かれ、リビングに戻る。
テーブルの上にある飲み散らかしたウィスキーのビンや、開けっ放しにしてる武琉の部屋。アキはどちらも目に止めたようだけど、何も言わずにぎゅうっと肩を抱く手に力を入れてくれただけだった。
「キッチン貸してね」
「うん…あ」
ぼくをソファーに置いて行こうとするアキの手を、離れがたくて思わず掴んでしまった。
「…悪い」
慌てて離そうとしたのに、アキはそのまま、ぼくの手を強く握る。
「珍しいね、こんな可愛いことするの」
「…うるさい」
「喜んでるんだよ。ねえ先生、ピオーネなんだけど、皮も食べる?」
手を引いてキッチンに入ったアキは、紙袋をそこへ置くと、手近なところにあるダイニングチェアーを引き寄せ、ぼくを座らせてくれる。
そばで見ていろと言いたいらしい。
「皮?…ぶどうの皮、食べるのかい?」
ぶどうなんて、デラウェアくらいしか馴染みのないぼくの前で、アキは鬱陶しげに上着を脱いでいた。
それを空いてるダイニングチェアーにかけ、ネクタイを緩めてる。一連の動作は様になっていて、見ているだけでドキドキしてしまう。
「ピオーネとかマスカットとか。最近は皮ごと食べるものも多いよ。苦手?」
「うん」
「じゃあ剥いてあげる。…ん、ちゃんと冷えてるね」
箱を取り出す姿を見ていて少し驚いた。高級フルーツの代名詞ともいえる店。大きな箱には、ぶどうが一房入ってるだけだ。
「もう冷えてるの?」
「うん。すぐ食べるからって、冷やしておいてもらった」
「…高そうだね…」
きれいに包装され、守られているぶどうは、見たこともないような大きさと輝き。アキが御曹司なのはわかってるけど、庶民の身の上だと、いちいち値段が気になってしまう。
「大したことないよ。一房だけだし」
「でもそんなの、見たことない」
「そう?いくらだったかなあ…値段確かめなかったけど」
買い物するときは、ちゃんと価格を確かめなさい。ほんとに御曹司なんだから。
「お店の人にね、今日入ってるもので、すぐ食べて一番美味しいのは何?って聞いたんだ。そしたら白鳳桃っていう桃と、このピオーネだって言われて。両方買ったんだけど…全部は食べられないから、桃の方は車に置いてきた」
「車?」
「うん。家に持って帰ってもらった。…あれ、食べたかった?」
きょとんと首を傾げるアキに、そうじゃないと溜め息を吐く。
「君、朝から果物買いに行ってたのかい?制服も着てないけど学校は?」
ドアを開けたときから気になっていたこと。とても似合うスーツ姿だけど、それはアキが朝から学校へ行っていないのだと語ってる。
アキは手を止め、曖昧に笑ってぼくを見つめていた。
「…今日はお休み」
「君までいなくてどうするの。生徒会はいま体育祭の準備で…」
「大丈夫。ナツに頼んで、予定を一日遅らせてもらったから」
「え…?」
「日本での急ぎの用事は、僕が引き受けるから、ナツは今日まで学校行って、生徒会の仕事片付けてって。朝、先生が休みってわかった時点で、頼んだんだよ」
そのせいでスーツを着ていたんだと、秘密を打ち明けるように話してくれた。
「どうして…今日、ぼくが休んだって…」
「教科主任の菅(スガ)先生に、風邪で起きられないって電話したでしょ?菅先生からナツに連絡が来て、そこから僕」
アキの話はまるで、手品の種明かし。
「…近いうちに先生が学校休むんじゃないかなって、思ってたんだ」
「アキ…」
「その話をナツにしたら、先生の情報を教えてもらえるように、菅先生へ手を回してくれた。…頼りになる弟でしょ?」
くすっと笑って、取り出したぶどうを水で洗うアキは、驚くぼくに気付くと、一粒手にとって口元へ近づける。
「口、開けて?」
「…一人で食べられるよ」
「僕がしたいんだよ。ほら開けて」
薄く開いた口に、アキの指が当たる。
つるりと皮を外して押し込まれた、大きなぶどうの実は、とても甘くて酸味が薄いけど、後味がさっぱりしていた。
「おいし?」
「うん…美味しい」
食べたこともないような、濃厚な甘みのぶどう。アキの指で食べさせてもらったせいか、官能的でさえある。
「良かった」
ひょいっと自分は皮ごと食べて、アキも満足そうに笑う。
「今年のは甘いなあ」
「毎年食べるのかい?」
「うん。もらい物ばっかりだけどね」
さっと水で洗い、丁寧に一つずつ実を外して、置いてあったうちのガラス皿に移していく。
「残りはソファーのところで食べる?」
「うん」
ぼくの答えに、アキは皿を持ち上げ、空いたほうの手をぼくと繋いで。一緒にリビングへ戻ってくれる。
ソファーに座ったぼくの足元、床に座り込んだアキは、ぶどうを一粒取ると器用に皮を剥きながらぼくに差し出した。
「先生、口あけて」
「ん…」