【その瞳に映るものJ】 P:07


 ぼくに食べさせて、自分も食べて。じっとその姿を見ていたぼくは、ソファーから滑り降り、アキのそばへ座り込んだ。
「?…なに」
「もう一個」
 そう言って、餌をねだる雛のように口を開けて見せる。
「甘えてる?」
「うん」
「…先生これからも時々、体調崩してよ。飛んでくるから」
 嬉しそうに言うアキは、ぶどうを手に取って、そのままぼくの口元へ持ってくると、器用に実だけ押し込んでくれた。
 本当に美味しい。ぶどうって皮を剥くのが面倒で、あんまり食べないんだけど。
「そういうの、出来ないと思ってたよ」
「?…ぶどうの皮ぐらい、誰でも剥けるんじゃない?」
「そうじゃなくて…人の世話焼いたり、もの食べさせたり」
「ああ。…確かに苦手なんだけど。でも果物の皮を剥いて食べさせるのだけは得意なんだ。これならナツにも勝てる」
「へえ…ナツくんの方が器用そうなのに」
「まあね。果物の皮剥き以外は、何でもナツの方が器用にこなすよ。…でもコレだけは、別なんだ」
 話をしながら、アキは手際よく皮を剥いて、ぼくにぶどうを食べさせてくれる。

「ナツって小さい頃から、時々熱を出すんだよ。たぶんストレスだと思うんだけど。
そういう時って、いつも果物しか受け付けなくてさ…しかも僕の手からじゃないと、食べないんだ」
 ふふっと小さく笑うアキ。幼い頃のアキが、一生懸命弟に果物剥いて、食べさせてる姿、可愛かっただろうな。
「桃とか、マンゴーとか…ぶどうもね。おかげで役に立ってる。はい、どうぞ?」
 差し出されたぶどうを咥えると、アキはいきなりぼくを引き寄せ、唇を重ねた。
 互いの口の中、甘い蜜が行き来してる。
「ん…ん、っ」
 息苦しさにくぐもった声を上げるけど、離されたくはなくて、アキの背中を引き寄せた。何度かぶどうを取り上げられ、押し付けられて。
 最後には二人分の体温でぬるくなったぶどうを、アキが奪っていった。
「あ…」
「こっち、食べて」
 新しいのを食べさせてくれる。
 熱くなった口腔に、ひんやりしたぶどうが気持ちいい。
「ごめんね。口の周り、べとべとになっちゃった」
 器用にぶどうを剥く指先が、ぼくの口元も拭ってくれる。じっと見つめるアキの視線に晒されてたら、急に恥ずかしくなってきて、ぼくは下を向いてしまった。
 これほど無防備に甘えて、誰かに寄りかかったの、初めてだ。
「…アキ」
「寂しいんでしょ」
「…………」
「どうして言わないの…大人だから?」
「違う、ぼくは…」
「うん?」
「ぼくは、武琉を応援したいと思ってる」
 本当にそう、思ってるんだ。武琉のやりたいこと、受け止めてやりたい。
 いつまでも自分の手で育てたいなんて、ただのワガママだと思うから。
「同じだね、先生…僕たちと同じことしてるよ。気付かない?」
「アキ…」
「先生は大人で、武琉くんは子供?そんなの関係ないんじゃないかな。大体さ、武琉くんの気持ちばっかり推し量って、自分の気持ちを我慢するなんて。全然先生らしくないじゃん」
 アキはぼくの腕を引っ張って、自分の前に座らせる。背中を自分の胸に寄りかからせたまま、ゆっくりぶどうを剥いて、食べさせてくれた。
「先生は欲しいもの、手に入れる主義なんでしょ?」
「…………」
「そう言って僕のことも自分のものにしたじゃない。武琉くん前に言ってたよ。先生に振り回されるのは、慣れてるんだって」
 くすっと笑うアキが口元へぶどうを持ってくるから、口を開くとそれはアキの指ごと口の中へ入ってきた。
「ぅ…んっ、ふ」
 唇にあたる他人の皮膚が、するっと抜けていく感覚。すごくいやらしくて、ぞくぞくする。
「先生の家から武琉くんがいなくなって…毎日僕と一緒にいてくれるの、嬉しいけどさ。先生、少しずつ僕を子供扱いするようになってた。気付いてなかったでしょ」
 アキはまたぼくの口元にぶどうを運び、こんどは食べてる間中、唇を触ってた。
「ん、ぁ…っ、あ」
「こんなことするの、僕だけなのにね」
「っ…ん、ごめん…」
「武琉くんになった気分だったよ。まあ、それはそれで、珍しくて得した気分」
「アキ…」
「先生は甘えるの、下手だもんね」
 そういう人が身近にいるから、無理矢理甘えさせるのが得意なんだと囁いて、アキはぼくの身体をごろりと寝かせる。
 ぐいっとソファーの前に置いてあったテーブルを押し、スペースを確保したアキは、ぶどうの皿をソファーへ移動させると、ぼくの隣に横たわった。
「もっと食べる?」
「…うん」
 肘を突いて片手の上に頭を乗せ、空いた手でぶどうを摘まむと、口元へ持ってきてくれた。
 スーツを着てナツくんの代わりに用事を片付けてきたというアキは、初めて見たときと同じように、少し髪を後ろへ流している。見下ろす顔は、まるで知らない人。
「…ドキドキする」
「何が?」