「ん〜っと、そうだね。どこかこの辺に、落ち着いて話の出来るところはある?」
歩きながらする話じゃないから、というアキさんに俺は少し考えて。だったら、と口を開く。
「うちの家でも良かったら…歩いて5分くらいなんですけど」
「…家、ね。君にとってはもう、ご実家が自分の家なんだね」
「え?」
どういう意味だろう?
隣を歩くアキさんは全然笑ってなくて。ちょっと睨むように、俺を見上げていた。
「アキさん…?」
「君がいいなら、そうしようか。連れて行ってくれる?」
「…はい」
こっちです、と家の方を指しながら、一緒に歩く。アキさんが俺を訪ねてくる理由なんて、全然想像がつかない。
でもなにか、好意的じゃない雰囲気を感じて、俺たちは家につくまで、ほとんど話をせずに歩いていた。
千夏やアキさんの家と比べたら、めちゃくちゃ普通の、俺の家に着いて。リビングにアキさんを通した俺は、不安を感じながら冷たい麦茶を用意している。お気遣いなく、とソファーへ腰掛けたアキさんから、社交辞令の言葉が飛んできた。
グラスを二つ持って、アキさんの元へ戻る。アキさんは階段のそばに置いてあるグランドピアノを、じっと見つめていた。
「…どうぞ」
振り返って。ありがと、と言ってくれるけど、口元の笑みを裏切って、瞳には剣呑な光が浮かんでいた。
「アキさん…」
何の話だろう?
アキさんが俺にっていうなら、千夏のことか兄貴のことしかないと思うんだけど。
グラスを傾けるアキさんの姿を、初めてゆっくり見つめた。
千夏と同じ顔。千夏と同じ姿。でも二人は全然違っていて、アキさんからは千夏が放つような明るさとか、一変して見せる寂しさみたいなものが、全然感じられない。
こうして二人でいても、少しもドキドキしないんだ。もちろん何を言われるのかわからないって意味では、ドキドキしてるんだけど。
喉を潤し、グラスを置いたアキさんは、改めて俺の顔を見る。
もう口元の笑みは消えていた。
「はじめに言っておくけど、僕は君が気に入らないんだよね」
「…………」
「だから少しぐらい言葉がきつくても、仕方ないと思って」
「…わかりました」
俺は自分が、万人に好かれるなんて思ってないけど。
自分が大好きな千夏にとって、一番近い存在であるアキさんからこんな風に言われるのは、けっこう辛かった。
気持ちがどんっと落ち込んでしまう。
千夏の兄さんが、こんなにもハッキリ俺のこと、嫌いだって言うなんて。
俺、何かしたかな。自分でも気付かないうちに、アキさんの気に触るようなこと、言ったのかも。
今まで兄貴や千夏と一緒に会てったときは、いつも優しく接してもらってたから、こんなアキさんの態度、思いもよらなかった。
もしかしたらそれは、兄貴たちの前だからってだけで、本当は最初から俺のこと、気に入らなかったのかな。
少し俯く俺を真っ直ぐ見つめて、アキさんは話を始めた。
「君が先生の所を出て、もう半月ぐらい経つかな」
「…はい」
「その間、一度も先生の所へは戻ってないよね?全然心配にはならない?」
顔を上げてアキさんを見ると、その冷たい目には苛立ちが見え隠れしてる。
もしかして兄貴とケンカでもしたとか?
「兄貴はしっかりした大人だし、それに俺は…兄貴にはアキさんがいてくれるからって、思ってます」
本気でアキさんに惚れてる兄貴。
俺なんかじゃ兄貴の自由を奪うばかりだけど、アキさんなら支えてくれるって思ったんだ。
でもアキさんは俺の言葉に眉を寄せた。
「なにそれ?僕がいたからって、何なの?随分と勝手な言い分だね」
「勝手って、そんな」
「恋人が出来たら、家族なんかいらないってこと?じゃあ君は、自分がナツと付き合うようになったら、僕をナツから排除するつもり?」
「ちょ…待ってください、違います!」
想像もしてなかったことを言われて、俺は首を振る。そんなこと……この人は何を言ってるんだよ?
「排除するとかいらないとか、そういう話じゃない」
「でも君が言ってるのは、そういうことじゃないか。…ねえ武琉くん。僕が君を気に入らない理由はね、君が僕の大切なものを傷つけるからだよ」
驚きに目を見開く。
アキさんの言ってることも、アキさんの憤りも、俺には少しも理解出来ない。
俺がアキさんの大切なものを傷つけるって、何の話なんだ?
どうして俺はこの人から、こんな理不尽に責められなきゃいけないんだ。
「俺が何をしたって言うんですか?」
「身に覚えがないってこと?無自覚に人を傷つける方が、ずっと罪は重いよ」
「アキさんっ」
思わず大きな声を出してしまって、俺は慌てて口を噤んだ。
くそ……ムカつく。なんなんだよ?なんでこの人、千夏と同じ顔で俺にわけわかんないことばっか言うんだ。