やっぱりイギリスって遠い。
アキさんが電話をかけてくれてから、千夏はすぐに帰国の手続きを取ったってアキさんに聞いたのに、俺がその姿を自分の目で見られたのは、三日後だ。
何度か俺の携帯には千夏からの着信があったけど、アキさんの言葉に従って、俺は一度も出なかった。
メールも何回か送られてきたよ。気遣わしげな言葉を見てるだけなのは辛かったけど、結局一度も返信しないまま。
前に千夏は、いつでも電話してこいって言ってた。俺は日本を飛び出すアンタにかけられるわけないだろ!って思ってた。
でもようやく、俺にそう言ってくれた千夏の考えがわかったよ。
ほんと、すぐそばからかけてるみたいに電話出来るんだな。千夏にとって日本と海外は、こんなに近いんだ。
でも千夏……手が届かないことの淋しさを、こんな機械で届けられる?アンタに触れられない俺のもどかしさ、携帯じゃ伝わらないだろ。
学校から帰ってきて、家へ向かう最後の角を曲がった俺は、自分ちの前にぽつんと立ってる人影を見つけた。
遠目でもわかる。千夏の姿。
黙って近づくうち、うな垂れて突っ立ってる千夏が、顔を上げた。
憔悴しきった表情。少し青ざめてるようにも見える。
隣に立つまで、千夏は何も言わずに俺を待っていた。
ああ、やっぱり。顔色が悪い。
千夏から最後に届いたメールには「タケル」って一言、俺の名前が書いてあるだけだった。
「おかえり」
「…うん」
「中、入れよ。ここじゃ話も出来ない」
千夏に触れることはせず、ドアを開けて家に入る。後ろから千夏もついてきた。
「上がって」
「…お邪魔します」
今日は両親が帰ってくる予定だ。
遅くなるって聞いてるけど、鉢合わせするのは嫌だから。俺はキッチンに寄って冷蔵庫からペットボトルを二本出すと、そのまま千夏を連れて、二階にある自分の部屋へ向かった。
いつもは楽しく話を聞かせてくれる千夏なのに、今日は何も喋らない。
でもさ……アキさんに俺のことで責められたから、千夏はこんな風に憔悴してるんだよな?どうやって俺との関係を修復しようかと思ってるから、そうやって黙ってるんだろ?
俺の後ろで部屋の扉を閉めた千夏は、ゆっくり部屋を見回してる。兄貴と住んでたマンションから越したばかりで、物の少ない部屋。
机にボトルを置いて、鞄を乱暴に床へ放り出した。素早く振り返り、そのまま千夏の腕を引っ張って、ベッドへ押し倒す。
「っ・・・!タケル」
「このままアンタのことめちゃくちゃに抱いたら、俺の気持ちが伝わるかな」
細い身体に覆いかぶさる。千夏の両手を痛いくらい押さえつけてたけど、千夏は全然抵抗しない。
ただ緩く首を振りながら、泣いてた。
「千夏…」
「そう、したいのか?タケル…オレが最後までおとなしくしてたら、お前はオレを許してくれる?」
聞いたこともないくらい、悲しい声。
「ごめん…ごめんな、タケル…」
「何を謝るんだよ?意味もなく謝んな」
冷たく言うと、千夏は辛そうにぎゅうっと目を閉じた。
苛めるつもりはないんだけど、やっぱり千夏を前にすると、この半月に溜め込んでた悔しさとか、切なさとかが溢れてきてしまうんだ。
離れてるのが淋しかったとか、辛かったとか、知って欲しい。
千夏は可哀相なくらい怯えて、唇を震わせていた。
「わかんないんだ…オレ、何した?そんなにお前が怒るくらい酷いこと、やったはずなのに…わかんないんだよ…」
「…………」
「ごめん、タケル…何でもする…お前の好きにしていいから、だから…嫌いに、なんないで…」
まさか千夏が、こんなこと言うなんて。
身体も何もかも投げ出して、泣きながら俺に縋るようなこと。
千夏にとって確かなのは、アキさんからかかった電話一本だけ。俺は電話にもメールにも、一度も反応しなかった。いきなり無視されたんだから、理不尽だって怒ってもいいはずなのに。なのに千夏は、自分が俺を傷つけんだたと疑わない。
泣いて、震えて。
俺に、許しを請うんだ。
……なあ、千夏。俺は少しぐらい、自惚れてもいいのかな?
まだ覚悟が出来ないから、友達のままでいたいと言ったアンタのこと。待っていて欲しいっていう、アンタの言葉を。
信じていいのか?
アンタは色んな気持ちの整理がついてないだけで……ちゃんと、俺を好きなんだって。俺を遠ざけるつもりなんかないって。
俺は千夏を抱き起こし、ぎゅうっと腕の中へ閉じ込めた。
「ごめん…こんなこと最初から、するつもりなかった。先輩、おかえり…来てくれて嬉しい」
「タケル…」
「成田からまっすぐ来たんだろ?アキさんに聞いた。今日、着くって」
「…うん」
「泣かなくていいよ…もうしない。酷いことしないから…安心して」
そっと離して、千夏を見つめる。