武琉が「アキに怒鳴られた」と言ったときは、さすがにぼくも驚いた。
突き放して怒鳴って叱って、でも最後には頭を撫でてくれたんだってさ。ショック療法だったのかな。
アキと色々話した武琉は、その日のうちにマンションへ来て、初めて自分の考えたことを話してくれたんだ。
ナツくんに嫌われたくなくて、早く大人になりたいと思ったこと。
自分が我慢すれば、みんなを幸せに出来るんだと思っていたこと。
でもその行為はあまりに苦しくて、もう一度ぼくと一緒に暮らしたいって思ってること。
……ぼくを傷つける気はなかったって。武琉は随分、男っぽい表情で呟いていた。我が弟ながらイイ男に育ってるよね。これからが楽しみ。
早くナツくんも、武琉に溺れちゃえばいいのに。
二人でたくさん話したよ。
口げんかにもなったけど、それも良かったと思ってる。
本音をぶつけられるのは、家族の特権でしょ。絶対切れない繋がりがあるから、出来ることなんだし。
いつも無口な武琉が一生懸命話をしてくれたから、ぼくも彼の知らないことを話したんだ。いつまでも子供扱いしてちゃいけないと思って。
武琉は自分が誘拐されたことを、全く知らなかった。
うちでは誰も口にしない、禁忌になってる話だから、知らなくても当然。
自分の口で話すのは辛かったけど、でもいいきっかけになった。
話してたらだんだん、細かいことも思い出してきて、どんどん泣けちゃってね。
話を聞いて驚いた様子の武琉は、少し両親のことを見直したみたい。
ずっと自分が見捨てられたんだと思ってたんだって。
ぼくが望んだんじゃなく、両親が無理矢理自分のことを、ぼくに押し付けたんだと思い込んでいたみたいだ。
可哀相なことしちゃったな。もっと早くに話すべきだったね。
頼りになるぼくの恋人は、まだ布団に懐いて目を覚まさない。
一度くらいアキの手で起されて、モーニングコーヒーでも淹れてもらいたいもんだよ。こんなんじゃ絶対アリエナイけど。
「…もういいよ。そのまま寝てれば」
嫌がらせにアキの頬をつねって、ぼくは自分のベッドを離れる。
今日はちょっと、特別な日なんだ。
ツアーで全国回ってる両親が、昨日公演のあった仙台から、戻ってくる日。明日は東京公演だから。
その後は九州へ行くために家を空けてしまう両親。今日を逃すとまたしばらく話が出来なくなってしまう。
武琉と相談して、今日中に両親と話をつけることにしたんだ。
時計を見上げれば、もう11時。
3時には実家へ行くと、武琉に伝えてある。少し早めに起きたのはアキが、出掛ける前に一緒にお風呂入ろうよ、と誘ってくれたから。
朝寝坊なアキがそんなことを言ったのは、珍しい入浴剤を手に入れたせいなんだ。例のごとく、ナツくんのお土産。
でも言い出した当の本人が寝ててどうするの?!
一人で勝手に入っちゃうからね!
大きな眠り猫は放っておいて、ぼくは一人でナツくんの買ってきてくれた入浴剤を試すことにした。
生徒会室に色んな入浴剤を持ってきて、お土産だから適当に持って帰ってくれ、と役員のみんなに言ったナツくん。
フランスで知り合った人が扱ってる商品だから、詳しいことはわからないってみんなに説明していたのに、何気ない雰囲気でぼくにはこれを渡してくれたんだ。
珍しいって聞いたけど、一個しかないから内緒な?って笑ってた。
最近のナツくんは変わってきたよ。
精神的にもだけど、時間的にもだいぶ、余裕が出てきたみたい。
あれもこれも、手当たりしだいにやるのはいい加減にしないと、って本人が言ってた。これからは、出来るだけ日本にいたいんだって。
まあナツくんのことだから、高等部の間だけだと思うよ、そんなこと言ってるの。
大学入って、世界が開けて、時間に余裕が持てるようになったら、また飛び回るようになるだろうね。
いや、それでいいんだよ。
ナツくんには才能があるんだし。
自分で時間の調節が出来るようになったら、無理しない程度に、色々やってみればいい。
都市設計という、明確な最終目標を持ってるナツくんには、どんなことでも糧になると思うよ。
貰った入浴剤の箱を開けると、中には袋がふたつ、あと六ヶ国語で書かれた解説書が入ってた。
良かった、日本語もある。
入ってるのは……凝固剤と融解剤?お風呂のお湯がゼリーになるって?
こういうの見ると、思わず成分に気になるんだよね。化学者の宿命かな。さすがに成分までは日本語で書いてないけど、ここは英語でもわかるから。
書かれている通り、少な目のお湯が湯船に溜まるまで、ぼくは浴室でその説明書を読んでいた。
ああ……なるほど。それでこの融解剤なんだ。でもそこまで固まるかな?う〜ん、ちょっと興味ある。