「すごいのね、笠原くん。武琉にジャズを勧めたのも笠原くんなんでしょう?どうせ弾くなら楽しいのがいいって自分が言ったとき、武琉がずいぶん驚いていたって言ってたわ」
「それでいいんだよ武琉。音楽は楽しむものだ。けして難しいことを考えてやるものじゃない」
父さんはふっと口元を歪め、椅子の背もたれに身体を預けた。
「音楽家は偉い仕事で、教師は普通の仕事かい?…そんなはずはない。バイオリニストも八百屋さんもプロレスラーも、変わらない。誰かに何かを提供する仕事だ。より素晴らしいものを届けようとする姿勢に、格差などありはしない」
じっと見つめて話を聞いているぼくに、父さんはにやりと笑う。
「お前には音楽がわからないかもしれないが、父さんにだって化学のことはわからないよ」
「そうよ。母さんはバイオリンを弾くのが得意だけど、お料理は武琉の方がずっと上手だもの」
嬉しそうにミルクティーを飲む母さんは、これも美味しいわ、と微笑んだ。
ぼくと武琉は顔を見合わせる。
そうして、どちらからともなく笑い出していた。敵わないな、父さんたちには。
「俺…父さんたちは音楽が出来ない兄貴のこと、嫌いなのかと思ってた」
「なぜだい?一琉は確かにバッハもモーツァルトも聞き分けられないが、通知表には4と5しか刻まない、自慢の息子だよ」
「うん」
武琉は安心したように頷いてる。
―――お前、そんなこと考えてたの?
ぼくは明らかに今のお前よりは成績優秀な、優等生の息子だったんだからね。
「でも…そうねえ。ずっと武琉の作るご飯が食べられる一琉のこと、ちょっと羨ましいわ。お母さん、武琉と一緒にツアー行きたかったのに」
本当に残念そうな顔で呟いてる。
母さんにとって、武琉を引き取ることは何も、ピアニストを育てたいわけじゃなかったんだね。
純粋に息子との時間が、欲しかっただけなんだ。
「これからは母さんたちが帰ってくる時、できるだけこっちの家にいるようにする」
「武琉は海外生活に憧れたりしないの?」
「うん、ごめん」
「そりゃそうだよ。武琉の好きな人は、日本にいるんだし」
いきなりぼくが言うと、武琉は慌てて顔を赤くする。父さんたちも興味津々の顔で乗り出してきた。
「そうなの?!武琉、好きな人がいるの?どんな子?」
「ちがっ…ちょ、ちょっと兄貴!」
「年上の子。すごーく落ち着いてて、頭が良くて、きれいな子だよ」
「一琉は会ったことがあるのかい?」
「うん。何度かお茶したり」
「素敵!母さんにも紹介してよ武琉」
「もういいって、俺のことは!」
あたふたとその場を逃げ出す武琉のことを、笑いながら両親と見つめる。
こんな風に家族で笑い会える日が来るなんて。アキには感謝しても、しきれない。
ナツくんを両親の元へ送り込んだなんて億尾にも出さないで。何も言わずに一番いい方法を探してくれたんだね。
ぼくらの気持ちを全部わかって、双子は話し合ってくれたんだろうか?
武琉の一番近くにいるナツくんと、ぼくの一番そばにいるアキならではの方法だ。
気の強いぼくや、口下手な武琉を、人心掌握に長けたナツくんが、先回りしてフォローしておいてくれるなんて。もっと時間がかかると思っていた、両親の説得。あっというまに終わってしまった。
助けてあげる、と言ってくれたアキ。
あの子がきっかけを作ってくれたのが、何より嬉しい。愛されてるって、痛いぐらい感じる。
ここにはいないアキに、今すぐ会いたくなってしまって。少しぼんやりしながら、笑みを浮かべるぼくの顔、母さんが覗きこんできた。
「ねえ、一琉。笠原くんに嶺華(リョウカ)でミニコンサートをする話、してみたの」
「え…」
いやそれは、だから面倒だって。
「喜んでくれたよ。1月に文化祭があるんだろう?そこで行うことになったから」
「そんな具体的なことまで決まったの?!昨日の話なんだろ!」
「そうなのよ。仕事が早いのねえ、笠原くん。その場でマネージャーと予定を詰めて決めてくれたのよ。学校の日程は頭に入ってるから、大丈夫って」
そんなところで手腕を発揮しなくても良かったのに……。
相変わらずだな、ナツくんは。
「藤崎先生から見て、笠原くんってどんな生徒なの?」
母さんがくすくす笑ってる。武琉もキッチンから戻ってきた。
ナツくんのことなら、武琉に聞いた方がいいんじゃないの。
「敏腕生徒会長だよ。嶺華はナツくんがいないと、大変なことになるってくらい」
「ナツくん?笠原君の名前かい?」
「そうだよ。笠原千夏さん」
横から武琉が答えてる。ほんとナツくんのこととなったら、この子は嬉しそうな顔するんだから。
「何でも出来るし、優しいし、カッコいいし…凄い人なんだ」
「あらあら…武琉は随分、笠原くんに憧れているのね」
「う…うん、まあ」