【その瞳に映るものM】 P:02


 一緒に暮らしていけることになったのは嬉しいけど、あんま構わないでくれないかなあ。今までけっこう放任主義だったじゃん。

 理由はわかってるんだけどね。
 兄貴から自分が赤ちゃんの頃に誘拐されたって話を聞いたときは、本当に驚いた。俺、全然知らなかったから。
 まさかそんなことが、あったなんて。
 兄貴からその話聞いた翌日、千夏に話してみたら、千夏は古い新聞の記事を見せてくれたんだ。兄貴の様子がおかしいってアキさんに言われて、調べたんだって。そこには確かに「誘拐された武琉ちゃん」なんて書いてあった。
 お前も知ってるんだと思ってたって、千夏が言ってた。そりゃそうだよな。赤ちゃんの頃とはいえ、自分のことなんだし。
 結局、両親が兄貴に俺を押し付けたんじゃなくて、兄貴が俺を手放さなかったらしいんだ。母さんはイヤだって言ったのよ!って昨日、さんざん言われた。
 
 
 
 父さんたちと和解できたのは、昨日のこと。全部、千夏とアキさんのおかげ。
 アキさんに頼まれた千夏は、両親の仙台公演へ駆けつけて、俺たち兄弟の気持ちを話しておいてくれた。あれがなかったらたぶん、和解するにはもっと時間がかかったと思う。
 説明するのが苦手な俺や、自分の言いたいことを優先してしまう兄貴では、千夏のようにちゃんと話したり出来なかった。
 俺たち家族の何がすれ違っていて、どこに問題があるのか。千夏はすごく丁寧に話をしてくれたらしいんだ。

 俺と兄貴は自覚している以上に、両親の仕事を重く受け止めているんだろうって。千夏は両親にそう言ったらしい。
 プロの音楽家である両親の姿を見て、音を聞いて育った俺たち兄弟は、それが音楽ってものとの関わり方なんだと、信じてるんじゃないか。
 同じように出来ないのなら、音楽と関わってはいけないと思ってるんじゃないか。
 そんな風に千夏が話してくれたって、両親はどこか嬉しそうに言ってた。

 音大を受ける者は大抵、プロを目指しているんだよ。でも本当にプロの音楽家となり、名を上げられる人間は、1%にも満たないんだ。
 お酒を飲みながら父さんは、穏やかに話をしてくれた。
 音楽は父さんたちにとって商品であり、仕事なんだって。それはプロレスラーが試合を見せることや、八百屋さんがカボチャを売ることと、何も変わらない。
 教師になった兄貴は生徒さんたちに知識を与え、音楽家になった父さんたちは旋律を届ける。仕事の難しさは同じなんだ。

 俺は生まれて初めて、父さんの口から仕事の話を聞いた。
 生きていくための仕事。
 生きがいのための仕事。
 父さん自身の、仕事に対する考え方。
 それから音楽ってものに対する、父さんの考えを。
 楽しければいいじゃないか、って。千夏と同じことを言って、父さんは笑ってた。
 プロになりたいなら挑戦してみればいいし、趣味でいいなら存分に楽しめばいい。
 どちらであっても、私が素晴らしいと信じているものを、武琉が少しでも理解してくれるなら、それ以上の幸せはない。
 ほんとうに嬉しそうな顔で、言ってくれたんだ。

 俺は父さんの話を聞きながら、ずっと千夏のことを考えていた。
 俺の狭い世界は今、千夏のことだけで精一杯だけど、千夏の広い世界には、たくさんのものがある。
 千夏のやってることはみんな、誰かの幸せに繋がっているような気がした。
 それはアキさんだったり、俺だったり、嶺華(リョウカ)の生徒さんだったりする。
 みんなの笑顔のためなら、千夏はどこまでも頑張れるんだ。きっとそれが、仕事をするということ。
 両親が音楽を奏で、兄貴が教壇に立ち、千夏が走り回る理由だ。
 お前は少し自分のことを考えな、って。千夏が言ってくれたセリフ。
 アンタのことしか考えられない、と俺はあの時、泣き言を言うことしか出来なかったけど。今はちゃんと、そのセリフを考えなきゃいけないって思ってる。

 大人になりたい、なんて漠然としたことを考えていてもダメだ。
 自分が何をしたくて、それはどういう理由なのか。夢を見つけたなら、そこへ向かって何をすればいいのか。
 ……自分で自分のことを考えるのは、難しいね。だって逃げることも諦めることも出来ないんだから。

 ゆっくりでもいいよ、って。千夏は言ってくれた。
 そうやって前を見つめるお前に、オレが必要なら嬉しいよって。笑ってくれた。

 千夏が好きだ。
 ずっと千夏と一緒にいたい。
 それはきっと俺にとって、千夏が必要だから。
 俺は千夏のそばで、自分のことを考えたい。千夏のそばで見つける道は、絶対に俺を幸せにしてくれる。そう信じてる。
 あとは……千夏も同じ想いでいてくれたらいいなって、思ってるんだけどね。