昼過ぎに旅立った両親と、入れ替わるように千夏がうちへ来た。
仙台まで行ってくれたことや、両親に話してくれたこと。改めて礼を言った俺に、千夏は優しく微笑んでくれた。
良かったって。本当に嬉しそうな千夏を見てしまうと、罪悪感でほんの少し、胸が痛くなってしまう。
罪悪感の理由は、今日の献立。
どうしても確かめたいことがあって、用意した材料。ささいな悪戯心だったんだけど、やっぱりやめておけば良かったかな。
並んだ料理を見た瞬間、案の定、千夏の顔は強張ってしまって。今も困った顔のまま、俺の前にいる。
……可哀相だっかな?でも可愛い。
ちょっと後悔したけど、あまりに可愛い千夏の表情を見てしまって、俺の申し訳なさも吹き飛んだ。
俺が出した夕食と、千夏は深刻な顔で向き合ってる。
「先輩、秋刀魚嫌いだった?」
意地悪して、平然とした顔のまま聞いてみる。ごめんね、千夏。俺どうしても、アキさんの言葉を確かめてみたかったんだ。
「い、いや…そんなことねえよ」
慌てて答えるけど、千夏の箸は止まっていて、一向に秋刀魚を食べようとしない。
千夏は魚の目が怖くて、頭のついた魚が食べられないって。そう俺に教えてくれたのは、アキさんだ。
やっぱりその話は本当だったみたいで、千夏は一生懸命、秋刀魚から目を逸らしてる。困った顔がすげえ可愛い。
「どうかしたか?」
「…なんでもない」
今日の夕食は、旬の秋刀魚。
焼き魚とメシと味噌汁に、大根おろしといんげんの胡麻和えっていう、どこでもあるような焼き魚定食。
千夏の前からは、いんげんと味噌汁とご飯だけがなくなっていく。
「先輩」
「…なに?」
「苦手なんだろ、魚」
確信を込めてそう言うと、千夏はちょっと迷ってから、溜め息をついて上目遣い俺を見た。
「ごめん…魚は好きなんだけど、こういう状態のはちょっと苦手」
「内臓?」
「いや、それは平気」
「じゃあ頭?」
「…うん」
嫌そうに認める千夏は、もう一度小さくごめん、と謝った。
「いいよ。貸して」
手を出す俺に、千夏はしゅんと落ち込んだ表情で、秋刀魚の乗った皿を差し出す。
わかっててやったんだよ。ごめんな。
でもそんな風に、子供みたいな表情する千夏が見られて、得した気分。
俺は千夏から秋刀魚を預かると、丁寧に身を外して、頭と骨を自分の皿に移してやった。
「ん、どうぞ」
「…ありがと」
嬉しそうに笑う千夏は、食べやすくなった秋刀魚に箸をつけた。
一口食べてほわりと頬を緩めてる。
「美味しい?」
「うん」
「良かった。これからは気をつけるよ」
「ありがとタケル」
にこにこして食べてるんだ。ほんとアンタは可愛いね。
先に食べ終わってしまった俺は、やっと食べられるようになった秋刀魚を味わう千夏のことを、じっと見つめる。
やっぱ育ちがいいせいかな。千夏はいつも、何を食べてても、すごくきれいな食べ方をする。箸の使い方もきれいだし、作ったこっちが嬉しくなるくらい、美味しそうに食べるんだ。
がつがつ食べるわけじゃないけど、ちまちましてなくて、千夏が食べるものは美味しさ倍増しに見えるよ。アンタに食べてもらえるなら、作りがいがあるってもの。
「…何?」
「うん。旨そうに食うな、と思って」
「旨いもん」
「その辺で買った秋刀魚だぞ?特売品で、一匹98円」
「マジ?すげえな…どうなってんだ?どっから仕入れてんだろ」
その考え方が千夏らしい。流通経路なんか知らないよ。考えたこともなかった。
「秋刀魚は毎年、そんなもんです」
「へえ…」
「解凍モノだったら、特売の日じゃなくても150円ぐらい。それは生だから、特売日じゃなかったら200円くらいかな」
「お前…詳しいんだな」
「普通だよ。スーパーに行って買い物してたら、誰でも知ってる」
「そうなんだ」
「今度一緒に行く?買い物」
「マジ?!行きたいっ」
アメリカでもイギリスでも、思いつきで飛んで行くくせに。そんな嬉しそうな顔でスーパーついて来んのかよ。
まったく。アンタと一緒にいたら、俺は毎日惚れ直してばっかりだ。
「いいよ。今度一緒に行って、食材見ながら晩メシ何にする決めよう?先輩の食いたいもの作ってやるよ」
「…お前ホント、料理の腕どんどん上がってるよな」
「それしか取り得ないし」
「なんで?ピアノも料理もだし、掃除や洗濯だって手際いいんだろ?一琉(イチル)ちゃんが言ってた。十分すげーじゃん」
「なんか…主婦扱いされた気分」
ちょっと眉を寄せてしまう。家事なんか誰でも出来るだろ。
でも千夏はむうっと不満そうに、唇を尖らせた。
「お前なあ。主婦が一番大変なんだぞ?うちの母さんなんか、マジ何にも出来ないんだから」
「必要ないじゃん、先輩んとこは」