「大丈夫だよ。ちゃんと僕がフォローするから。でもまあ一応、リストには目を通しておいてね。本当は先生のご両親にも、確認してもらえるといいんだけど。それは年明けの嶺華祭のときでいいんじゃない?」
年明けにある嶺華祭は、一般的に言う文化祭のこと。
こっちは中等部が合同だというせいか、よりいっそう大規模な化かし合いになるそうだ。
「嶺華祭って、うちの両親がミニコンサートするとか言ってなかった?」
「その予定だけど。なんか問題ある?」
きょとんとしたナツの言葉。
「問題って…両親が来るなら、もっと大変なことになるんじゃないの?ぼくを取り囲むより、手っ取り早いんだから」
「平気だろ、そこは。だって一琉ちゃんのご両親、プロになって長いんだからさ。慣れてらっしゃるんじゃねえかな」
「そうなのかい?」
驚く藤崎先生を見て、ナツの方が溜め息をついてしまう。
「…タケルもそうだけど、一琉ちゃんもマジで、ご両親の仕事知らねえのな。藤崎伽乃子(カノコ)さんは美人で明るくて、しかも実力があるからって、贔屓にしてる政治家やら財界人、すげえ多いんだぜ?」
「…知らなかった…」
呆然と呟いている藤崎先生。
藤崎先生と、その弟のタケルは、どちらもうちの常連だ。
二人のご両親があの、指揮者とバイオリニストの藤崎夫妻だと俺が知ったのは、最近の話。
「伽乃子さんが今使ってるバイオリンは個人の所有物だけど、前に使ってたバイオリンは、ある団体から貸与されてたんだよ。そういうの貸してもらおうと思ったら、音楽の才能だけじゃなく政治力がいるんだ。ご本人が苦手だからって、結婚前から旦那さんがサポートしてたらしいじゃん」
「…詳しいんだね、ナツくん」
「オレが詳しいんじゃなくて、一琉ちゃんたちが知らなすぎるんだってば。音楽家の仕事は、何も演奏だけじゃないと思うよ。もっと興味持ってもいいんじゃない?タケルにも言ったんだけどさ。オレは自分を育ててくれてる金が、どうやって生まれてるのか。知ることって大事だと思うだよな」
少し大人びた顔をしながら、ナツは手元の書類をめくってる。
平然とした様子からは、学生の自分が社会人の先生に意見したなんて、まったく考えていないようだ。
意外なことを言われたのか、びっくりした顔の藤崎先生。アキが笑みを浮かべてその手を握った。
「ねえ先生…ご両親のコンサート、行ったことある?」
「いや…最近は、全然」
ぼくにはわからないしって、眉を寄せる顔を見つめながら、アキは握った手に力を込めた。
「僕も音楽には詳しくないけど、今度一緒に行ってみようよ。楽しそうじゃん」
「アキ…」
「音楽の良し悪しがわからなくても、ご両親がスタッフの人たちと一緒に働く姿に興味はない?僕は見てみたいな」
藤崎先生は化学の担当で、音楽に一切関わっていないのだと、タケルから聞いたことがある。
俺にはわからない葛藤があるんだろう。
迷う顔でアキを見ていた藤崎先生は、明るい表情で「大丈夫、大丈夫」と囁くアキの言葉に、ふうっと息を吐き出した。
「…そうだね」
先生の中で何かが解決できたらしい。
柔らかく笑う藤崎先生と、アキが見つめ合う間で、気にした様子もなくナツが顔を上げた。
「あ、それ。オレも行きたい」
「え〜…ナツもついて来んの?」
「なんだよ、オレだってコンサートの舞台裏、見てみたい」
拗ねた顔で言うナツを見て、元気を取り戻した藤崎先生は、いつも通りの意地悪な表情を浮かべた。
……バカだなナツ。
自分で火の粉をかぶりに行くなんて。
「ナツくん、そんなにお兄ちゃんのデートを邪魔したいのかい?」
「ちょ…デート言うなッッ!」
「デートじゃないか。ぼくとアキがコンサート行くんだから、デートでしょ?まったく甘えたさんの弟だねえ」
「一琉ちゃん…なにそれ」
「なんだ、そういうコトなの?もうナツってば、ホントに可愛いんだからっ!心配しなくてもお兄ちゃんは、ナツのことだって大好きだよ〜」
言いながら席を立って、アキはナツに抱きついた。
「うっさい、離れろっ!」
じたばたと暴れるナツを助けてやれないこともないが、勝手に火の粉をかぶりに行ったんだから放置することにして、俺は店の入り口に目を遣った。
お客様の来店だ。悪いなナツ。
盛り上がる三人から離れ、カランと音をさせてドアを開ける。
俺の前で自転車から降りたのは、藤崎先生の弟で中学生のタケルと、後ろに乗せてもらっていたセーラー服姿の少女。
彼女の名前は皆見(ミナミ)まどか。うちのオーナーが懇意にしていて、俺も彼女が小学生くらいの時から知っている。
ふわふわとした柔らかい髪と、美少女と言って間違いない顔立ち。確かにまどかが今日来ることは、事前に知らされていたのだが。予定より随分早い到着だ。