【その瞳に映るものN】 P:06


「あ〜、ナツくんたちも来てる〜。藤崎先生もこんにちは〜」
 店では珍しい、コックコートを着た美沙の姿に、ナツたちは驚いているようだ。
「お邪魔してます…驚いた。初めて拝見しましたよ、そういう姿」
「オレもけっこう通ってんのに、初めて見た。すげえ、美沙さんカッコいい」
「ほんと〜?嬉しい〜。じゃあ今度から、時々この格好で来ようかな〜」
 くるくると年甲斐も無く嬉しそうに回るオーナーを、じとっと見つめる。
「やっと仕事する気になったのか」
 俺が言えば、オーナーは悪びれた風もなく「ぜんぜ〜ん」と笑った。
「私、着替えてくるから〜吉野くん奥の荷物こっちへ運んで〜」
 反省してないどころか、仕事中の俺をこき使う気でいやがる。俺は美沙のにこにこ笑う顔を睨みつけてやった。
「アンタなあ…まだ営業中だってんだよ」
「知ってる〜」
「業務外のこと命じるんじゃねえ」
「命じてない〜お願いしてるの〜」
「ふざけんな」
「吉野く〜ん?」
「なんだよ」
「…久々殴られたくなかったら、お姉さまの言うことは素直に聞いとけ〜?」
 かつて鉄拳を振るっていた手で、自分の頬を包み、上目遣いに笑う。わざとらしく少女めいたことをして、瞳に剣呑な光を宿している。
 よく殴られていた高校時代まで、逆戻りしたみたいな悪寒が、いきなり俺の身体を突き抜けた。
「……了解」
「ありがと〜!じゃあ着替えてくる〜」
 ぱたぱた去っていく後姿に、重たい溜め息を吐いた俺を見て、テーブルを囲む面々が笑い出す。
 うるせえ。お前らはあの女が、かつてどんなに恐ろしい人間だったか、知らないから笑ってられんだよ。
「美沙ちゃん相変わらず最強だね」
 渋い顔をしている俺に、まどかが同情するように呟いた。
「君、オーナーさんのこと美沙ちゃんって呼ぶんだね」
 藤崎先生に聞かれたまどかは、笑顔で頷いている。
「そうなんです、変ですよね?うちのパパとあんまり歳、変わらないのに。でも小さい頃、初めて会ったときにそう呼べって言われて、以後ずっと美沙ちゃんなんです。美沙さんって呼ぶと怒るの」
「そんな怖いの?美沙さん」
 不思議そうなナツの言葉に、まどかは笑顔を強張らせて言いよどむ。
「…そ、それは、私からはちょっと…」
 まどかと美沙が初めて会ったのは十年くらい前だ。あの頃はまだ、今ほど丸くなっていなかった。
「…あいつはな、ナツ。キレた時ほど笑顔なんだぞ?人を殴りつけてる間、絶対笑顔を崩さねえんだ」
「だから痛そうには見えないんだよね」
 過去何度もその現場に遭遇しているまどかは、苦笑いで賛同している。
 もちろん美沙は、女性や子供、老人に殴りかかったりしないので、まどか自身が殴られたことはない。
「あの小さい身体で笑ってたら、相手を骨折させるほどの力を振るってるなんて、誰も思わないからな」
「ああ、それはわかる」
 やけに感慨深く、藤崎先生が頷いた。
「後で周囲を味方につけようと思ったら、キレてることを悟られない方がいいですからね」
「一琉ちゃん…頼むから学校ではヤメてくれよな」
 生徒会長直々の要請に、先生はにやりと笑うのみだ。
「そういう事態にならなければね」
「も〜。他のことはともかく、暴力事件だけは庇いきれないからなっ」
「またまた。頼りにしてるよ、生徒会長」
「知るかっ」
 二人の会話に首を傾げ、まどかと顔を見合わせた。
 華奢な藤崎先生とは、どうにも接点がなさそうな会話だが……。
「…兄貴は空手の有段者なんです」
 武琉が顔を上げ、ぼそっと怖いことを呟いた。
「藤崎先生が?!」
「有段者じゃないですよ。段位取ってないですから」
「実力は有段者です」
「武琉、余計なこと言わなくていい」
「段位取ったら使えないもんな?」
 だから取らなかったんだってさ、とナツが言うのに、藤崎先生はきれいな柳眉を吊り上げた。睨む視線の先に、武琉がいる。
「…お前だね?」
「だ、だって兄貴、そう言ってたじゃないかっ!嘘はついてないだろっ」
「いちいち何でもかんでもナツくんに報告するんじゃありませんっ!」
 素早く立ち上がった藤崎先生は、手を伸ばして武琉の頭を叩いている。そのバシ!といういい音。それだけでもこの人が、かなりの実力を持っていると知れた。
「…痛い…」
「一琉ちゃんっ」
 咄嗟に武琉の腕を引いて、叩かれた頭を庇ってやったのはナツだ。
「暴力に訴えんなって!」
「こんなもの暴力のうちに入らないよっ」
「でも躾の域は超えてんじゃんっ」
「人の教育に口出すなっ」
「武琉は嘘ついたわけじゃないだろっ」
 ぎゃいぎゃいと二人が騒ぐのに、武琉はナツに庇われて嬉しそうにニヤついているし、アキはそ知らぬ顔でまどかに話しかけている。
「うるさくてごめんね。そのうち収まるから、気にしなくていいよ」