それはほんの一瞬のことで、わかって見ていなければ気付かない程度のこと。隣にいるタケルもわかっていないんだろう。
でもまあ、あいつは中学生だ。
しかも好きになって、追いかけ続けた人に振り向いてもらえたばかり。視界が笑顔のナツ一色になっていたって仕方ないか。
俺は最近のタケルを見ていて、よく頑張ってる方だと思うんだよな。
中学生なんか、誰でもいいから誰かヤラせてくんねえかと、そればっかり考えていても、おかしくない年頃だ。
ここんとこ急に色っぽさを増したナツ。
それを見てるだけで、タケルが思いを遂げたことは知れてしまう。
なのにナツは相変わらずの忙しさで、神無祭の準備に走り回り、店で待ちぼうけを食らっているタケルを何度も見ていた。
しかもたまに顔を合わせたと思ったら、「タケルを補充できたから」と爽やかに笑って、ナツは帰ってしまう。そんなナツを、タケルは文句一つ言わずに、見送ってやるんだ。
……よく我慢してるよな。
こうなってくると、ナツと一緒に帰ろうとするアキを捕まえて、強引に連行していく藤崎先生の方が、素直でいいんじゃないかと思ってしまうくらいだ。
さて、どうしたものか。
ようやく落ち着いた店を眺め、俺が考えを巡らせていたとき、外に新しい客の気配がした。
カランと音をさせて開いたドアへ、近づいていく。
「いらしゃいませ」
営業スマイルを浮かべる俺の前に現れたのは、うちの元バイトだ。
ナツアキの幼馴染みで嶺華の二年生。藍野直人(アイノナオト)。
「なんだ、お前か」
「店長…」
俺と同じくらい背のある直人は、しょぼんと肩を落としていた。
一度家に帰ったんだろう。ここからでも歩いて距離のないマンションに住んでいる直人は、私服姿で立っている。
その顔を覗きこみ、俺は直人が泣きそうになっていることに気付いて、思わずぎょっとした。
「どうしたんだ、お前」
「うん…ナツアキ来てますか?」
「ああ、向こうにいるが…」
言いかけるのを聞いて、顔を上げた直人のことを、二人も見つけたようだ。
「直人?」
「どうしたのナオ」
驚く二人の声を聞いた直人は、途端にふにゃりと顔を歪めてしまう。
「なつぅ…あきぃ〜」
こいつが犬ならきゅーんと鳴いてるところだろう。確かに狭くはない店だが、走るほどでもない店内を、ナツアキの元へ駆け寄っていく。
「なんだ、お前。どうした?」
「とにかく座ったら。ほらナオ、そんな顔しないで」
「うん…ごめんね…」
アキに席を勧められ、おとなしくナツアキの間に座った直人はもう泣く寸前だ。
まあ、いい歳して本当に涙を流して泣いたりはしないだろうが。
うちで働いている時にも思っていたが、こいつときたら本当に、ナツアキにだけはいつも、全力で甘えている。
普段は意外と仕事の出来る、しっかりしたヤツなんだけどな。
「あれじゃあオーダーなんか忘れてんだろうな」
カウンターの中にいるバリスタへ、小声で話しかける。
アキに肩をさすられ、ナツに頭を撫でられている直人は、かわるがわる慰めの言葉を口にしているナツアキに、うんうんと頷いていた。
ナツの隣でタケルの顔つきが変わっていく。黙りこくるタケルを気にはしているようだが、ナツはどうしても直人を放っておけないみたいだ。
「いつものアイスラテいれてやれよ」
バリスタに言うと、彼は少し考える素振りを見せて、首を振った。
「あんなに動揺してたら、温かい方がいいですよ」
「わかった。甘めに作ってやってくれ」
確かに今の直人には、身体を温めるようなものがいいだろう。
客観察の鋭いバリスタがラテを淹れている間、まだ言葉の出てこない様子の直人を見つめる。
デカいナリのわりに、どうしようもなく素直な直人。つい甘やかしたくなる双子の気持ちが、わからなくもない。
手前に座っている藤崎先生はタケルと違って、少々呆れているようだ。
「マスター、お願いします」
「ああ」
受け取ったラテには、優しい色でクマの絵が描かれていた。
正式なメニューではないから、めったにお目にはかかれないが、うちのバリスタのラテアートには定評がある。
バイトをしているとき、直人はこれが大のお気に入りだった。
「…お前も直人には甘いな」
「吉野さんほどじゃないですよ」
「俺が?…そうかあ?」
にやりと笑うバリスタに、肩を竦めて答えた。自覚はないが、そうなのかもな。
どうにもあいつの素直さとか、実直な懸命さを見ていると、手を差し伸べてやりたくなってしまうんだ。
苦笑いを浮かべてカップを受け取り、直人の前まで運んでやる。
「ほら、少し落ち着け」
「店長…ありがとうございます…」
目の前に置かれたラテを見た直人は、そこに描かれているクマを目にして、ようやく頬を緩ませた。