【その瞳に映るものN】 P:13


「そうなんだよね…ナオはたぶん、ナツを誰より頼ってるんだ。もしかしたら、一緒に住んでる惺さんより。惺さんとは昔から色々あって、ナオの一番大事な人だけど、頼りきってるわけじゃないから…」
 アキがしみじみ語っていても、タケルの不機嫌は収まらない。
「一番大事じゃないのに、千夏を頼りきってるなんて、おかしくないですか?」
 お前、千夏って……普段はそう呼んでんのか?
 藤崎先生やアキにも初耳だったらしく、俺たちが驚いている所へ、当のナツが戻ってきた。
「吉野さん、悪いんだけどさ。今年も神無祭の前日、ここに泊めてもらえないかな」
「明日ってことか?…まあ、俺は構わねえよ。好きにしな」
 去年の神無祭。
 時間が足らずに寝ていなかったナツと、それを心配していたアキを、学校から近いここの二階に泊めてやったんだ。二人が学校へ泊り込むと聞いて、だったら俺の部屋へ来いと言ったのは俺自身だった。
「ありがと、ごめんね。今年はオレだけだから」
「え?…ナツ、僕は?」
「お前は一琉ちゃんに泊めてもらえよ。直人に約束したから、明日は撮影の手配に時間取られそうだしな。正直、お前を起してやってるヒマがない」
 自分の席に座って、片付けていた書類を再びめくっている。
「そういうことなら、ぼくが預かるよ」
「助かる。一琉ちゃんならアキのこと起せるよな」
「10分もあれば」
「ちょ…待って。ちゃんと自分で起きるから、それだけは勘弁して」
「却下。お前はそんなこと言ってても、ほんとに起きたためしがないだろ。明日は一琉ちゃんとこ泊まって、起してもらえ」
 どうやって藤崎先生に起されているのか知らないが、アキは珍しく焦った顔で、ナツに縋りついている。
 去年泊めてやったから、俺もアキの寝起きの悪さは知っていた。
 予定より随分早く起きだしたナツに、どうしたんだと聞いたら、アキを起すのに時間がかかるんだと愚痴っていて。
 本当にアキが起きるまで、一時間近くナツは声をかけ続けていたんだ。
「ほんとに、絶対。起きるから」
「そんなにイヤなのか?」
「うん。お願いだから、ナツ」
「…どうやって起されてんの?同じことオレにも出来るなら、別に構わねえけど」
「え…いや、それは…」
 言いよどむアキを見て、藤崎先生は口元を歪めた。
「ムリだよね?弟じゃ」
「先生…」
「ぼく以外には、出来ないよね?」
「そりゃ、まあ」
「出来ないし、させないよ?」
「…わかってるよ…」
「じゃあ決まりだね。ナツくん、アキはぼくが預かるよ」
「よろしく」
 藤崎先生と微笑みあうナツの腕。横からタケルが引っ張った。
「…どうした?」
「なんだよさっきの。吉野さんとこに泊まるって、そんなの許すはずないだろ」
 低く唸るようなタケルの声。絶対に許さない、と憤りを滲ませているタケルに、ナツの視線も鋭くなった。
「なんでお前の許可がいるんだ?お前には全然関係ないじゃん」
「関係あるだろっ許さないからな!」
「…なんでそう、聞き分けのないこと言うわけ?事情をわかってないわけじゃないだろ。神無祭は明後日なんだ。いい加減にしてくれよ」
 話は終わりだとばかりに、タケルに掴まれた手を振り払う。しかしそれを許さずにタケルがまたナツの腕を掴んで、書類を見させようとしない。
 ……これ、アレっぽいよな。
 私と仕事とどっちが大事なの〜!っていうやつ。俺もやられたことがある。
「タケル…」
「神無祭の用意は、ほとんど終わったって言ってたじゃないか」
「だから…お前もさっきの話、聞いてたじゃん。今から撮影のスタッフ揃えて、場所を確保して、スケジュール組み直してってやってたら、家まで帰ってるヒマなんかないんだよ」
「なんでだよ…なんで千夏がそこまでするんだ」
「ちょ…お前!呼び捨てにすんなっ」
 興奮気味のタケルに名前を呼ばれたナツが、慌てて咎めているが、タケルは止まらない。
「学校の仕事だったら仕方ないって諦めるけど、あんなの藍野さんのワガママじゃないかっ!」
「タケルっ」
「俺より誰かを優先すんなよ。俺より藍野さんが大事なのかよ?俺を苛立たせてるって自覚しろよ!」
「いい加減にしなさいっ!」

 暴走するタケルの言葉を嗜めたのは、兄貴である藤崎先生だ。ナツはただ真っ青になって、唇を震わせている。
「どこまで子供なのお前は…場所を弁えなさい。大声を出す所じゃないだろ」
「…わかってる」
 ちょうど店のCDが切れて、バリスタが入れ替えているときだ。確かに静かな店内には、タケルの声が響いていた。
「すいません…」
「いいえ、大丈夫ですよ」
 謝ってくれる藤崎先生に笑いかけ、店を振り返る。ちょうど常連客が何人かいるだけだ。軽く頭を下げた俺に、彼らは苦笑いを浮かべていた。