藤崎先生も振り返って、客に頭を下げている。すっかり拗ねてしまったタケルは、俯いたままだったが。
「ナツ」
仕方なく俺は、ナツの肩に手を置いた。
「…ごめん、吉野さん…」
「それはいいから、お前ちょっと頼まれてくれるか?」
「え…?」
困惑している顔に、笑いかけてやる。
「二階のCDラック知ってるよな?」
「うん」
「上から三段目の一番端に、新譜が置いてある。まだパッケージしたままのヤツなんだがお前、持ってきてくれよ」
「…吉野さん」
「な?悪いが頼む」
ナツの手を取り、部屋の鍵を握らせる。
人目があったらお前は、絶対に正直な顔を出来ないんだろ?
「わかった。取ってくる」
「ああ、よろしくな」
ふらふら立ち上がって、レジの横にあるドアから、裏へ消えていくナツを確認し、俺は軽くタケルの頭をはたいた。
「バカだろ、お前!」
「…騒いですいません…」
「そうじゃねえよ!ったく、何にも知らずに喚きやがって」
「え…?」
意味がわからない、と言いたげなタケルを、藤崎先生も睨んでいる。
「ほんっと、ニブい子だねお前はっ」
「兄貴?」
「大変だよ武琉くん…ナツの嫉妬は色々とめんどくさいんだから」
「嫉妬?先輩が?…なんで…」
矢継ぎ早に言われたタケルは、どうにも理解出来ない様子で、呆然としていた。
「なんでじゃないだろっ!可愛い女の子と自転車に二人乗りして、ナツくんの待ってる店へ来るなんてっ。もしあれがアキだったら、ぼくは店の外まで殴り飛ばしに行く所だよっ」
「ちょ…先生、何気に怖いこと言わないでよ。僕は関係ないでしょ」
急に自分を引き合いに出され、焦るアキを見ながら、タケルは目を丸くした。
「いや、でも、あの」
「店のそばで自転車降りるとか、押して歩くとか、色々出来ただろ。考えろよお前」
「あ…」
アキは苦笑いを浮かべて、そんなタケルを見つめている。
「わかってると思うけど、ナツほど物分りが良くて、頭のいい人はそうそういないんだよ?」
「はい…」
「自分の嫉妬が理不尽なことも、武琉くんがまどかちゃんに対して、特別な気持ちを抱いたりしてないってことも、ナツはちゃんとわかってる。でもさ、こういう恋愛の嫉妬って、制御が利かないじゃない?」
「そこを理性で押さえ込もうとするのが、ナツくんなんだけどね」
「うん。しかもそのうち、ナツは自分を責めだすんだ。武琉くんは悪くないのに、受け止められない自分が悪いんだって」
アキはナツの消えた方を見て、少し辛そうに眉を寄せた。
「…ナオのことで嫉妬する気持ち、わかるよ。僕が言っても武琉君は納得しないかも知れないけど…でも、ナオだけは許してやって欲しいんだ」
「アキさん…」
「君にはナオの言葉が、ただのワガママに聞こえたよね。…でもあの子、色々と複雑なんだ。さっきのも本当は、倒れそうなぐらい傷ついてたんだよ。そういうナオの気持ちに、一番敏感なのがナツだから」
重苦しい溜め息を吐いて、アキはタケルに笑いかける。
「いつものナツなら、武琉くんの気持ちもナオの気持ちも、どっちも大事に出来たんだろうけど。今日はずっと、まどかちゃんのことでナツ自身が落ち込んでたから。ちょっと配慮に欠けたよね」
ごめんね、とアキがナツの代わりに謝るのに、タケルは首を振った。
「俺…どうしたら…」
「知るわけないだろ。勝手にしなさいっ」
「兄貴…」
「悪いのはお前じゃないか。ただでさえナツくんが、皆見さんとお前を見て傷ついてるっていうのに。お前はのんきに電話もらって『皆見が皆見が』言ってただろ。あれが決定打だよ。もう嫌われてしまえ」
冷たい藤崎先生の言葉に、アキが苦笑いを浮かべた。
「先生、そんな酷いこと言わないでよ。ナツも良くないんだから。慣れてないって言うかさ」
「俺、謝らないと」
さっきまでの憤りが嘘のように、しょげるタケルが呟くと、アキは「そうじゃないんだよ」と首を振っていた。
「謝るんじゃなくて、ちゃんと言ってあげてよ。ナツが妬くのは仕方ない、配慮が足りなかった、でも嬉しいって」
「…嬉しい、ですか?」
「あのナツがヤキモチ焼いてるんだよ?武琉くんは自分のものなのに!って。嬉しくない?」
「嬉しいです」
タケルの即答に、アキがにやりと笑う。
俺はタケルの座っている椅子を、軽く蹴ってやった。
「行ってこい」
「え?」
「人前じゃナツは素直になんねえだろ。あのドア開けて、奥の階段上れば、二階はワンフロアだ。隠れるとこはねえよ」
「吉野さん…」
「明日のことが気になるんなら、お前も泊めてやるから。一緒に泊まってけ」
「うんっ!」
嬉しそうに頷いたタケルは、慌てて店を飛び出していく。
それを見送った俺たちの真ん中で、藤崎先生が嫌そうに顔を歪めていた。
「…手のかかる子達だね、ほんとに」