【その瞳に映るもの・2010X'mas】 P:05


 何の解決にもならないのだが、シェフである長谷にとって、料理は自分が落ち着くための、最良で唯一の手段なのだ。

「脳みそ働かん時は、甘いもんやんな」

 冷蔵庫の中を眺めながら、材料を確かめる。
 食パンにオレンジ。牛乳と生クリームとバター。冷凍庫のバニラアイスを、冷蔵庫に移動した。
 何人分作るべきだろう?……ちらりと背後を振り返る。食材を見ているうちに少し落ち着いたせいか、彼がそこに「いる」ことは、確信に変わっていた。

「二人分に、しとこか」

 オレンジは一つを半分に切り、ジューサーで絞る。もう一つは皮をむいて輪切りに。
 一斤単位で購入しているパンを分厚く切りながら、どうして東京では四枚切りの食パンが売っていないんだろう?と考えてしまう。
 東京に出てきたのは、6年前。
 彼が生まれ育った関西を離れようと思ったのは、まとわりついて離れない過去を振り切るためだった。

 もうどうにもならないのに、長谷の過去を知る周囲の人々は、何年経っても「なんでそんな仕事してんねん」と長谷を責め続ける。
 どんなに輝かしい過去でも、過去はしょせん過去なのに。
 長谷は今の仕事に満足している。シェフとして才能があることも、そこそこ自負していた。しかし周囲の人々は、両親でさえが過去にこだわり、今の長谷を認めようとしない。

 初めは笑顔でかわしていたが、あまりのしつこさに嫌気が差したし、しまいには呆れてしまった。ここにはもう、居場所がないとさえ思った。
 だから長谷は単身、東京に出てきたのだ。

 何軒かの店に入ったが、自分がゲイであることを隠さないせいもあり、どこも長くは続かない。今の店にたどり着くまで、だいぶ苦労もしたのだけど。地元に帰ろうという気は、一切起こらなかった。

「おっと…卵、忘れとった」

 冷蔵庫に戻り、アイスの状態を見ながら卵を取り出す。ボウルに割って、適当に牛乳を注ぐ長谷は、オーナーが見たら怒るだろうなと苦笑い。
 ドルチェを作る時くらいは、ちゃんと分量を量りなさい!と、小柄な女性オーナーは繰り返し長谷に言うのだ。でも、どうにも苦手で、いつも目分量。
 今、長谷が勤めている店のオーナーは、オーナー兼パティシエでもある。
 元々ドルチェ類を作るのが苦手だった長谷は、カフェでのシェフ募集にもかかわらず「ドルチェに手を出すな」という条件を聞いて、飛びついた。