【その瞳に映るもの・2010X'mas】 P:08


 聞く気がなくとも聞こえてくる、背後の会話。出来るだけ聞いていない振りで、長谷は空いたフライパンにバターを落とし、輪切りにしたオレンジのソテーを始めた。

 ―――甘いもん、平気やとええけど。

 いや、そもそもの問題は甘いかどうかじゃない。
 汚してしまったセンスのいいスーツ。シャツの方はおそらくオーダー。彼の綺麗な見た目を、充分に引き立てていた昨日の服装。
 いま手にしている携帯も、無駄な装飾がなくシンプルだし、かけているメガネも彼の鋭い視線をより冷たく見せるような、質のいいデザイン。
 こういう人は大抵、長谷のプライベートで作る料理を、嫌う傾向にある。

「三日、ですか?しかし社長、それは…ええ勿論わかっておりますが、しかしですね…」

 彼は電話の相手に、何かを食い下がっているようだ。聞くともなしに聞きながら、長谷は小さな鍋に砂糖と水を入れ、色が変わるのを待って生クリームをゆっくり注いだ。
 パンの入った皿に茶色いそれを、どばっとかける。冷蔵庫から取り出したアイスにオレンジのリキュールを混ぜてから、大きなスプーンですくった時。溜め息を吐いた男は、携帯を切っていた。

「…ったく。どこまで勝手なんだ、あの人は」
「お兄さん、タチバナさん、いうの?」

 不機嫌そうな男に明るく笑いかける。屈託のない長谷の表情をちらっと見て、いくつか年上らしい男は渋々頷いた。

「立ってる花のタチバナさん?木ヘんで一文字のタチバナさん?」
「後者だ」
「へえ、なんか似合おうてるな。橘さんかあ…橘、なにさん?」
「お前に関係ないだろう」
「まあまあ、そう言わんと。オレは長谷真幸いうねん」
「昨日聞いた」
「そっか。ほんなら、メシにしよか」

 急展開する長谷の話に、橘は眉を寄せるのだが。鈍感な長谷に、それが伝わることはなかった。
 橘が立っているかたわら、長谷はダイニングテーブルに、大きくて深めの皿をふたつ置く。

「甘いもん、嫌いやない?」

 聞きながら、すくったアイスを皿の中に投入した。
 ……座るでもなく去るでもなく、橘は無表情に皿を眺めている。自分の前に置いた同じものを見つめ、イスを引きながら長谷は、申し訳なさそうに頭を掻いた。