【その瞳に映るもの・2010X'mas】 P:09


 わずかに眉を寄せ、考えるような素振りを見せて。視線を上げた橘は、ちょっとだけ困った顔をしていた。

「夜も遅いんだろ」
「ん〜…遅いどころか、下手したら明日は泊まりかもしれへん」
「店に?」
「うん。二階にマスターが住んどってな。去年もその前も、スタッフみんなで雑魚寝したわ」
「…大変だな」

 何の感情も篭っていない、労いの言葉。冷たく聞こえてしまう橘の言葉が、長谷には何より嬉しくて。ゆっくり息を吐き、柔らかく微笑んだ。

「好きな仕事やもん。全然平気やで」
「………」
「なあ、冬吾さん…ちょっとだけ昔話、してもええかな」

 穏やかな声でそう尋ねながら、どきどきする鼓動を抑え、ゆっくり橘の身体を抱き寄せてみる。
 抵抗はされなかった。
 それどころか橘の方も少し身体を上げ、寝やすい恰好を探してくれる。

「…オレな、昔。野球やっててん。けっこう、ええセンまで行ったんやで?甲子園には出られへんかったけど、地方大会の決勝までは頑張った」
「ポジションは?」
「投手で四番。高校野球にありがちやろ」

 くすっと笑った長谷は、暗闇の中に過去を見つめる。あんまり思い出したくないものだけど。橘には聞いて欲しいと思った。

「フツーの公立高校でなあ…オレが入るまでただの、弱小野球部やってん。ほんま、自慢するみたいけど。オレ一人であのチーム、引っ張った気がするわ」
「………」
「せやけどまあ、そのせいで肩、壊してもうて。夏の予選決勝で、ジエンドや」
「…そうか」
「うん。…今でもまだ、肩から上に腕、上がらんねん。野球辞めるか、ノックも出来へんコーチになるか。酷なようやけど、自分で決めなさいって。医者に言われた」

 あまり自分からは話さない、長谷の輝かしい過去。当時の高校球界で、長谷はそこそこ有名人だった。

「色んな人に、色んなこと言われたわ。辞めるて決めたら余計にや。何で辞めんねん、お前はオレらの夢やのにって」
「…くだらない」
「ん?」
「他人に夢を見てどうする。お前の人生は、お前だけのものだろ」
「はは…冬吾さんらしいなあ。オレ、あの時に冬吾さんと会いたかったわ」

 誰にもわかってもらえなかったプレッシャー。
 もう球を投げることが出来ない辛さは、長谷の許容を越えていて。本当なら白い球を見ることさえイヤで。
 なのに周囲は「逃げるな」と、激励するような素振りで、長谷を責めた。