橘にカギを預けたのは、まだ彼のことを何も知らない時だったけど。
長谷が彼に惹かれることは、あの時もう決まっていたように思うから。
ちらりと時計を見上げた。もうすぐ夕方の6時だ。もし橘がサラリーマンなら、そろそろ定時でもおかしくない。
―――残業、してはるかもしれへんし。
仕事上のトラブルで、三日も身を隠さなければならないなんて、どんな仕事なのか。長谷は結局、聞けずじまいだ。
しかしその三日分の仕事で、24日は忙殺されると言っていた橘。もしそれが昨日で片付いていなければ、今日に持ち越しているだろう。責任感の強い彼のことだ。長谷のことが後回しになってしまっても仕方ない。
あの細い身体を思うと、無理はして欲しくない。でもちょっとくらいの無理で済むなら、来て欲しい。
今日が最後じゃないかもしれないけど。
次の明確な約束は、ないのだから。
「そうや…今日も約束はしてへんねやった」
来ないかもしれない。溜め息を吐いた長谷の元へ、注文の声がかかる。
「オーダー入りま〜す」
「ええよ、言うて!」
うっとり橘のことを思い出している余裕もない人気店。仕方ないと半ば諦め、長谷は明るい笑顔でスタッフを振り返った。
昨日、クリスマス・イヴの12月24日。
まだ陽も明けきっていない時間だったのに、橘はちゃんと起きて、一緒に朝食を摂ってくれた。
最初の日と同じ、オレンジ風味のフレンチトーストを作った。さすがに気づいただろうけど、橘はロマンチストな長谷を笑うこともなく。同じテーブルで、もう何年もそうしているかのように、美味しそうな無表情で食べてくれた。
けして美味しそうではないものを。
―――服、どないする?
―――心配ない。迎えに持ってこさせる。
―――そっか…
自分の服を着て行ってはくれないのだ。確かに似合ってはいないけど、ちょっと残念な気がしてしまう。
その後も長谷は、どうしても橘と離れがたくて。ぐずぐずと出勤を渋っていたら、玄関先で思いっきり橘に頭を叩かれた。
―――いった!
―――何をしてるんだお前は!出勤前に情けない顔をするなっ
―――そんなん言うたって…
―――仕事だろうが!責任とプライドを持ってやっているんじゃないのか?!