別に、吉野からあんなことを言われたから、というわけじゃないけど。橘は一人、黙ってワインを傾けながら、長谷の姿を見守っていた。
アルバイトの青年に指示を出し、吉野の言葉に耳を傾け、客の様子をじっと見つめる。そこにいたのはこの三日間、橘が見ていたのとは違う男。
今まで料理どころか、自分が食べるものにさえ興味のなかった橘は、初めてこんなにもじっくり、人が料理している姿を見た。
自分の手元を見つめる。
ここに座ることを了承して、すぐに運ばれてきたのはシャンパンだった。クリスマスディナーのサービスなのだそうだ。
フロートグラスに入った、淡いピンクのシャンパンに添えられていたのは、甘さを抑えたジンジャークッキー。
グラスが空くと、新しいグラスと一緒に赤ワインが運ばれてくる。
それを持ってきた、バリスタだという青年を見たとき、橘はさすがに苦笑いを浮かべた。
―――こいつか。
自分に似た雰囲気の、だけど自分とはけして重ならない男。彼の方もわかっているのか、少し困ったように笑っていた。
「アミューズです。真ん中のはポルチーニ茸のアランチーニ。小さいライスコロッケってとこですか。ワインに合いますよ」
足りなくなります、と吉野が笑う。
彼は目の前で出来上がる料理を、わざわざ自分の手で橘の元へ運ぶ。いくら厨房に席があっても、けしてシェフには運ばせない。
そばへ来たときは気軽に言葉を交わし、面倒にならない程度放っておいてくれる。しかし彼は必ず橘の頃合を見計らい、ちょうどいいタイミングで次の料理を持って来てくれた。
ホンマにええ店なんや。と、長谷が言っていたとおり。このカフェは橘が想像していたよりも、ずっとレベルの高い「いい店」だ。
長谷の作る、彼曰く「本気の料理」も、確かに見た目に美しく、食べても隙がない。完璧に近いものだろう。
一皿の量を少なくすることで、出来るだけ色んなものを、楽しく。そういう店側の気持ちが伝わってくる。
―――食べてるときが幸せ、か……
橘は生まれて今まで、そんなことを考えたことがない。食事は生命維持のものであって、それに手間をかけたり、金をかけたりする神経が、どうしても理解できなかった。
だけど、こうして。
提供する側の姿を見ていると、食べるという行為が、物を口に運ぶだけではないのだということもわかってくる。