まだ早い時間とはいえ、そこはどうにも閑散としていて、いるのは編集長の他に男性が二人だけ。
出版社に入社して以来、こんなことは初めてで、どうしたものかと首をかしげる千歳に、奥のデスクにいた中年の男性が声をかけてくれた。
「東くん?」
「はい、東千歳です」
「ああ良かった、約束の時間より早く来てくれて。こっちこっち」
手招きされた方へ足早に近づくと、編集長の岩橋(イワハシ)がにこやかに席を立ち、パソコンだけが置いてあるデスクのひとつへ案内してくれる。
「君の席、ここね」
「ありがとうございます」
「うんうん、本当に君は礼儀正しいね。私は編集長の岩橋です。前に会ったことあるよね」
「はい。よろしくお願いいたします」
「はいはい、よろしくね」
にこにこ笑う人の良さそうな編集長の岩橋とは、確かに以前にも何度か会ったことがある。最初は情報誌で温泉の特集を組んだ際、協力を願い出た時だ。
新人で要領が悪く、おたおたするばかりだった千歳に、岩橋はあらん限りの協力をしてくれて。
あの時から印象のいい人だった。
ビールと甘味で生成されていそうな、でっぷりとした腹をゆすって笑う優しいオジサン。千歳から見た岩橋の第一印象は、そんな感じ。
メガネの奥の瞳が穏やかで、今までの部署で見てきた、厳しい表情の編集長たちとは全然雰囲気が違う。
岩橋の下で働くのは、今回の移動を告げられたときから楽しみだった。
今度の旅行雑誌は季刊誌だ。
週イチ、隔週、月イチ、隔月。どんどん発行期間の空いた部署へ移されている。
左遷なのだろうか?…と、思わなくもない。だが千歳にとって、この移動が左遷でも降格でも、神経を尖らせるような事態ではなかった。
出版社というハードな会社に勤める千歳だが、元来あまりガンガン突き進む性格ではない。入社時の希望部署が、文芸誌だったという経緯も理由だろう。文芸誌に行けないならどこも同じかと、どこかのんびり考えている節がある。
千歳が与えられた席に荷物を置くと、岩橋は人の少ない編集部を振り返った。
「あっち山田(ヤマダ)くん、こっち中沢(ナカザワ)くんね」
「東です。よろしくお願いいたします」
にこやかに頭を下げる千歳を見て、二人も柔らかい笑みを浮かべている。
「よろしくな」
「よろしくお願いしま〜す」
編集長と同じくらいの男と、千歳より若い青年。三人の挨拶を眺めながら、岩橋がうんうん頷いていた。
「他の者はまた、明日にでも紹介するからね。君はこっち来て」
「はい」