【蓮×千歳@】 P:03


 千歳を自分のデスクへ促し、岩橋が先を歩き出す。デスクに座り、千歳を見上げる表情は、変わらず穏やかなものだった。

「今日はちょうど、校了明けでね。のんびりしたものだろう?昨日まではこれでも、地獄だったんだけどね」
「お疲れ様でした」

 言われてみれば人の少ない編集部のそこここに、食べ散らかした後や、丸めたブランケットが置いてあった。千歳が今まで見てきた校了明けの地獄絵図とは比べ物にならないが、それでも確かに昨日までは大変だったのだろう。
 校了明けは、雑誌編集部にとって唯一の平穏だ。もうやることも、出来ることも限られている。あとは印刷所を信じて祈るしかない。
 編集長の前で姿勢正しく言葉を待つ千歳に、にこりと笑いかけた岩橋は、薄いファイルを弄りながら目の前の青年を観察している。その目の奥の瞳。穏やかだが鋭く輝いていて、やはりこの人も編集長なんだと思うと、いっそう背筋の伸びる思いだ。
 それを察したのか、岩橋は声を立てて笑い出した。

「そんなにね、緊張することはないよ」
「はい」
「東くんのことは、前から知ってたんだ。最初は確か、何年か前に温泉の記事が書けるライターを紹介してくれって、駆け込んできた時だよね」
「その節は、ご迷惑をおかけしました」
「あはは、そういうところなんだなあ」
「…はい?」
「いい子だよね、君は」

 まるで親戚が子供を褒めるような言葉を呟き、岩橋は手にしていたファイルを千歳に差し出す。

「ずっと君と一緒に、仕事がしてみたくてね。引き取りたいって何度も言うのに、みんな君を手放してくれなかったんだよ」
「そんな…とんでもありません」
「ほんとほんと。役に立つアシスタント、なんて酷いことを言われたこともあったろう?でもあれは褒め言葉でね、みんな君がいないと仕事にならないって言って、取り合いなんだ」

 ファイルを受け取った千歳は、聞き慣れない褒め言葉を聞かされ、うろたえる。一度もそんな風に言われたことがない。
 人を疑うことが苦手な千歳にとっては、嫌味も賛辞もストレートに突き刺さってしまうのだ。
 照れてほわりと赤くなる千歳を、嬉しそうに見つめていた岩橋は、渡したファイルを指差し「それね」と話し出した。

「君に担当してもらう企画だから」
「…ええっ?!」

 いきなりの話に千歳が驚くのは当然だ。
 右も左もわからない、専門外の部署から移ってきたばかりの新人に、最初から企画を任せようなんて。正気の沙汰じゃない。
 焦って山田と中沢を振り返る。