蓮に聞こえなければいい、と、千歳は胸の辺りを撫でて、落ち着こうとしていた。
気を失っていて幸いだ。
自分が蓮の腕の中に崩れ落ち、あの逞しい腕で抱き上げられたのだと知ったら、悲鳴を上げていただろう。
丁寧な運転で千歳を運ぶ四駆が、一軒のマンションに横付けされる。着いたぞ、という声に促された千歳は、慌てて自分の荷物を抱えると、車から降りた。
静かに運転席の窓が下りていく。そこから蓮が千歳を見つめている。
「ありがとう、葛」
「ああ」
「あの…お茶でも飲んで行かない?」
「いや。このまま次の仕事に向かう」
「そっか…時間ないのに、ごめんね」
「気にするな」
「…うん」
離れがたくて、つい運転席のドアに手を置いてしまった千歳は、これが最後じゃないんだからと自分に言い聞かせ、ようやく仕事を思い出した。
「そうだ打ち合わせ、どうしよう」
「ああ。お前の予定は?」
「何にも。移動したばっかりだし…葛の方は予定、どうなってる?」
「そうだな…来週でも構わないか?」
「うん。それまでに資料揃えて、編集長と出来るだけ詰めておくから」
「なら月曜にしてくれ。10時には編集部に顔を出す」
「いいよ、僕が葛の家に行くから…」
慌てて言う千歳に、蓮はにやりと口元を歪めた。
「また倒れるだろ」
「大丈夫だよ。平気だって」
「お前の『平気』と『大丈夫』は、あてにならないからな」
「あ…」
何でも頑張りすぎる千歳に、蓮は高校の頃も同じことを言っていた。
あまりに成長していない自分を見透かされたようで、しゅんと肩を落とした千歳の髪を、ふいに蓮が撫でてくれる。
「かず、ら?」
「その日は午後から、新宿のスタジオで撮影なんだ。だからそっちへ行くのは、俺の都合だ」
「ほんとに?」
「ああ」
「…わかった」
千歳が頷いたのを確認して、すっと離れていった大きな手。
慰めてくれるときや、励ましてくれるとき、昔も蓮は千歳の頭を撫でてくれた。
同級生なのに、まるで庇護されるようにそうしてもらうと、千歳はすごく安心できたのだ。
心配をにじませた瞳が、まだ千歳を映している。今の蓮に高校生の蓮がオーバーラップして、少しは落ち着いたはずの千歳の頬をまた赤くさせる。
熱くなっていく顔を覚まそうと、千歳が自分の手の甲を当てたとき。
ふいに蓮は、通りの向こうで何かを見つけ、急に視線を鋭くした。
「?…どうしたの、葛」
「いや、なんでもない」
全然、なんでもないという雰囲気ではない。どこか剣呑ささえ感じる鋭い視線に、千歳はおろおろとドアに置いていた手を引いた。