【蓮×千歳B】 P:05


 蓮の言葉が嬉しくて、でも全然前に進めていない自分が情けなくて、千歳は苦笑いを浮かべる。

「どうかな…就職して、出版社の内情とかわかってきて、ちょっと挫折気味」

 昔と変わらない、蓮の優しい眼差しを前に、千歳は思わず正直な気持ちを零してしまった。

 ただ器用に仕事をこなすだけで、編集者として特に優れているわけでもない自分は、ずっとこのままではないのか。今回の急な配置転換のように、あちこちで適当に使われているのが、身の丈に合っているのかもしれない。
 自嘲気味に笑う千歳は、強い蓮の視線を感じて、唇をかみ締めた。

「ごめん…いやなこと、聞かせた」
「キャリアを積んでいけば、利用価値のあるものが見えてくるさ」
「利用価値?」
「ああ。その時のために、爪を研いでいればいい」
「葛…」

 いつか大きな一歩を踏み出すとき、今やっていることは全て、自分の力になる。
 蓮に言われると、他の誰の言葉より自分の中に響く気がして、千歳は笑みを浮かべた。

「それはあちこち移動させられてる間に、上司の弱みでも探せってこと?」

 照れ隠しにそんな言い方をすると、蓮もにやりと口元を歪めて肩を竦める。

「お前に出来るのか?そんなマネ」
「う〜ん…難しいかも」
「無理だ」
「ひどいなあ。これでも大人になって、ちょっとはズルくなったよ?」
「どうだか」

 ぷくっと膨れてみせる千歳に、蓮が笑っている。まるで昔に戻ったみたいだ。
 嬉しそうな千歳の表情を見て、蓮は手にしていた書類をとんとん、と揃え、自分のファイルに挟み込んだ。

「お前が仕事に手を抜かない性格なのは知ってる。確かに気の向かない企画だったが、お前のためになるなら悪くないと思ってるよ」
「僕の、ために?」
「ああ」

 お前のためだ、とはっきり蓮に言われ、真っ赤になってしまった千歳は、慌てて首を振った。

「違うよっ…企画の中心は葛なんだから。協力するのは僕の方だよ。何か出来ることない?」

 まだ頬の赤みが取れない千歳を見つめ、蓮は「そうだな」と少し考えるそぶりを見せる。

「…俺は昔と同じように、長く家を空けることが出来ない。知ってるな?」
「うん、知ってる。…お母さん、元気?」
「ああ」

 蓮の母親には千歳も会ったことがある。年齢を感じさせない可愛らしい女性なのだが、彼女はどうにも家事全般が苦手らしく、出会った頃から大きな屋敷の管理を、全て蓮が行っていた。
 食事や掃除、洗濯も。
 高校生の彼にとってそれは大仕事で、部活もままならなかったぐらいだ。
 詳しい事情は知らないが、父親はいないはず。
 それを聞いた時、蓮の横顔がなんとなく寂しげに見えて、千歳も深くは聞かなかった。