【蓮×千歳C】 P:02


 中学生の虎臣より、大人の千歳の方が、がぜん子供っぽい表情になっているのに気付き、理子が笑みを零していた。

「昨日、掲載一回目になる原稿の、最初の試し刷りをもらってね」
「知ってる。そういうの、ゲラって言うんだよね?」
「うん。最初の修正でけっこう直してたから不安だったんだけど、かなり良くなってて。葛にも見て欲しいと思ってるんだ」

 本来、著者に校正を頼むのはもう少し先になるが、千歳は昨日ゲラを手にしてから蓮に見て欲しくてたまらなかった。
 自分たちが手がけた仕事だ。二人で悩みながら、初めてカタチに出来たもの。
 細かいことはともかく、千歳が見た限りそのゲラは、十分に満足のできる仕上がりだった。早く蓮の意見が聞いてみたい。

何時ごろに帰ってくるのかな。今日中に時間が取れると嬉しいんだけど」

 うきうきと幸せそうに微笑んでいる千歳を見つめ、理子は手にしていたマグカップを机に戻した。

「ねえ、千歳。お願いがあるんだけど」
「なに?理子さん」

 笑みを浮かべたまま理子を見た千歳は、そのあまりに深刻な表情を見て、戸惑った表情になる。
 夜遅い仕事の理子と、朝早い千歳や虎臣が顔を合わせるのは、休みでもない限り、毎日この朝食のときだけだ。だから今までにも、重大な問題に突き当たるたび、三人は朝から話し合いを持つことがあった。
 しかしこんなに深刻な表情で切り出されるような問題、千歳には今のところ思い当たらない。

「トラも聞いて」
「うん」
「私、今日にでも店を辞めるから」

 唐突な宣言に、隣同士で座っている千歳と虎臣が、同じくらい目を見開いた。

「ええっ!お母さん、どうしたのっ」
「理子さん、辞めるってどうして…」

 詰め寄る勢いの二人を前にして、理子は苦笑いを浮かべている。

 二人が驚くのも当然だ。理子は今まで、一度も今の店を辞めようとしなかったのだから。
 もっとずっと幼かった虎臣が、
お母さんが夜一緒にいてくれないのは寂しいと、泣いてせがんだときも。
 千歳が理子の身体を心配し、せめて昼の仕事に変わったらどうかと話したときも。
 彼女は
「この仕事が好きだし、今の店を気に入ってるの」と突っぱねた。
 店や客に対する愚痴を零すことはあっても、一度として辞めるという言葉は口にしなかったのに。

 今更なんなの?と、不満が見え隠れしている虎臣。
 当面の生活費を自分一人で賄えるだろうか?と、すでに不安を感じている千歳。
 驚愕する二人を見つめて、理子は穏やかに口を開いた。

「千歳もトラも、私に付き合ってる人がいるのは知ってるわよね」
「うん…前に会ったことあるし…」
「デザイナーの彼だよね?」
「もちろん」