理子がもう三年近く付き合っている恋人は、東家の結婚形態に理解を持ち、理子自身を大切にしている男だ。千歳も虎臣も紹介を受け、一緒に食事をしたこともある。
それどころか、最初に彼を理子に紹介したのは、当時ファッション誌を担当していた千歳だった。
才能のある男なのだが、どうにも引っ込み思案で、競争の激しいファッション業界では苦労しているようだ。もう少し自信を持てばいいのに、と理子が零すのを千歳は何度も聞いていた。
「彼ね、今度大きな仕事を受けることになったのよ。彼は躊躇ってたんだけど、チャンスだからって言って、私が無理に引き受けさせたの」
「そうなんだ。おめでとう!」
「ありがとう千歳。でもその仕事が、イタリアのブランドからの依頼で、仕事も向こうでやることになるから…」
「ちょっと、お母さんまさか」
「私、ついて行こうと思って」
「えええっ?!」
青天の霹靂とは、まさにこのこと。
呆然とする千歳と虎臣を見つめる理子の目には、一片の迷いも躊躇いもない。彼女はもう決めてしまっているのだ。
「いきなりの話で驚かせてごめんね。でももう、決めちゃったの」
「理子さん…」
「それでね、トラ。あんたどうする?」
「どういう意味だよっ!反対に決まってんだろ!」
がたん、と音をさせて立ち上がった虎臣だが、理子は動揺するそぶりもない。
「そんなこと聞いてないでしょ、私はもう決めたんだから。トラがついてくるなら構わないし、日本にいたいならそれでもいいわ」
「……は?」
「ずっとイタリアにいるわけじゃないの。何年かで戻ってくると思うし、行きっぱなしというわけでもないから。…千歳、トラが日本にいることを望んだら、トラのこと頼んでもいい?」
急展開に頭がついていかない千歳だったが、元より虎臣のことを優先して物事を決めてきた家族だ。
「それは、もちろん」
「ありがとう。で?あんた、どうする?」
もう一度母に聞かれ、立ち上がっていた虎臣はおとなしくイスに座ると、一変してにっこり微笑んだ。
「頑張ってきてね、お母さん」
「あら、反対なんじゃなかったの?」
「ボク千歳さんと一緒に、日本で応援してるから」
千歳と二人で暮らす選択があるなら話は別だ。千歳に片思い中の虎臣が、二人だけで生活できるオイシイ状況を前にして、反対などするはずがない。
息子の恋心を知っているだけに、理子は「ありがと」と呟きながら、ため息を吐いた。
「それでね、千歳。急な話が続いて悪いんだけど、もうひとつお願いがあるの」
「…なに?」