「このマンション、処分したいのよ」
「え、ちょっと…理子さん?」
「向こうへ行くにしても資金がいるし、彼にそんなお金あるわけがないし。無理言って仕事を受けさせた以上、私にも責任があると思うから」
きっぱり言い放つ理子は、やっぱりこの件もすでに決心がついているのだろう。こうなっては誰が何を言ったって、聞く人ではない。
確かに今、彼らが住んでいるマンションを所有しているのは、理子だ。千歳と理子を引き合わせてくれた彼女の祖母が、五年前に亡くなった時、残してくれた遺産で理子が購入した。
なら理子が処分すると決めた以上、千歳に反対する権利はないのだが…。
「待ってよ…じゃあ、僕と虎くんはどこに住めば…」
「さあ?」
「さあって、理子さんっ」
「ごめんなさいね。明日から私、彼のマンションで渡航の準備を手伝うから、忙しいの。もちろんトラには文句言わせないし、全部千歳に任せるから、出来れば一ヶ月くらいで住むとこ決めてくれる?」
「そ、そんな」
困り果ててコーヒーも喉に通らない様子の千歳を見た理子は、表情を変えず、しかし心の中でひっそり笑った。
数々の唐突な話に、パニックを起こしているのだろう。少し考えれば、理子がこんな勝手なことを、何の相談もなく、いきなり言い出すなんて、おかしいとわかりそうなものだ。
泣きそうな顔でうろたえている千歳が、どんな身勝手なことを言われても理子を責めたり、けして離婚したいと言わないことに、理子は愛しさを募らせる。
大切な大切な家族。
今はちょっとかわいそうだが、これも千歳のためだと、理子はコーヒーを一口飲み、何気ない様子で「そうね」と呟いた。
「じゃあ、葛くんに探すの手伝ってもらったら?」
「え…ええ!なんで葛?!」
「だって千歳、葛くん以外にそんな相談できる人、いないじゃない」
「それはそうだけど、でも葛だって忙しいし、迷惑かけたくないし…」
「じゃあ一人で頑張ってみて」
「理子さん…」
眉を下げた情けない顔で、千歳が泣き言を零そうとしたとき。理子は壁掛けの時計を指さして、立ち上がった。
「あ、ほら。時間ないから。二人とも立って立って」
「ほんとだ!遅れちゃうよ千歳さん、一緒に出よっ」
「そんな、まだ話は…」
「しょうがないじゃない、もう決まったことよ。私、今日からしばらく帰ってこないから」
後はよろしくね、と話し合いを放棄した理子は、すでに落ち込み始めている千歳と、かなり浮かれている様子の虎臣を、玄関へ追い立てた。