「あの…榕子さんはあまりされないんですか?料理」
苦手だとは聞いているが、本当に一切しないのだろうかと、前から疑問に思っていた千歳が尋ねてみる。
そんな疑問に、榕子はちょっと首をかしげながら「そうなのよね」と呟いた。
「わたしが作るとどういうわけか、みんな真っ黒になっちゃうの」
「…真っ黒…」
「ええ。不思議よねえ?」
それは確かに不思議な話だが、過去に一度、真っ黒なインスタントラーメンを作ったことのある千歳には、笑えない。
「何もおかしいことしてないと思うんだけど、いつも真っ黒なの。だから蓮ちゃんが美味しいの作ってくれて、助かっちゃう」
「そ、そういえば今朝も伶くんと雷くん、いないんですね」
蓮の呆れたような視線に気付き、慌てて話題を変えた千歳は、ちらりと二階への階段がある方に目をやった。千歳と虎臣がこの南国荘に来てから、彼らとはまだ一度も、朝食を食べたことがない。
ひと時も休む様子のない蓮が、食器を洗いながら肩を竦める。
「あいつらはまだ寝てる」
「伶ちゃんも雷ちゃんも、夜遅いから。いつもお昼ごろに起きてくるのよね」
「ボクには早く寝ろって言うのに…」
ぼそっと呟く虎臣に、榕子は嫌味のない顔でにっこり笑った。
「当たり前でしょ。伶ちゃんと雷ちゃんはオトナ。虎ちゃんはコドモ。早く寝て、早く起きて、学校行かなくちゃ」
「はあい。…じゃあ千歳さん、行こっか」
「あれ?そんな時間?」
千歳は時計を見上げる。確かに針は7時半を指していた。
「ほんとだ、もう行かないと。ごちそう様でした」
「二人とも行ってらっしゃい」
立ち上がる千歳と虎臣を、榕子が座ったまま見送ってくれる。頭を下げて玄関へ向かう二人と一緒に、蓮も手を止めて歩き出した。
千歳が南国荘に住むようになって、幸せに思うことは数々あるのだが。家にいるときは毎朝、蓮が門まで見送ってくれることも、その一つ。
精霊で溢れた庭でも、蓮が一緒に歩いてくれるなら少しも怖くない。
虎臣と千歳がたわいない会話をしている間、蓮は黙ってそれを聞いていて。門まで来ると足を止めた。
千歳は本当に嬉しそうな顔で、くるりと蓮を振り返る。
「じゃあ、行ってきます」
「ああ。気をつけてな」
「ありがと。…ほら、虎くん?」
「…行ってきます」
「行ってこい」
蓮に見送られ、手を振る千歳とようやく表情を緩めた虎臣が、駅に向かって歩き出す。
虎臣の通う中学は駅の向こう。毎朝、南国荘から駅までの徒歩5分ほどは、虎臣が千歳を独占できる唯一の時間だ。
しかし虎臣にとって一番楽しいその短い時間も、千歳の気持ちまで独占できるわけじゃない。
色々話しかける虎臣に、優しく答えてくれる千歳だけど。心の中はいつも、蓮に見送ってもらった幸せで、いっぱいになっているのだから。