そうしてそれを知っていたからこそ、迎えに来なかったのだと。
蓮は虎臣以上に苛立った顔で、言葉を重ねる。いつもからは考えられないほど饒舌な息子に、黙って見守る榕子も驚いた顔になっていた。
「何を知ってるかって?知ってるさ。ずっと手に入れられなかった暖かい家庭ってやつを得て、千歳がどんなに幸せだったか。俺にはしてやれないことを、お前らが全部与えているとわかっていたからこそ、俺はあいつを諦めたんだ」
「アンタ…どっかで見てたのか?千歳さんのこと」
「…ああ」
「ずっと?何も言わずに、今までずっと千歳さんのこと、見守ってたの?」
「…そうだ」
「千歳さんが理子と結婚したときも、千歳さんが就職してすげえ頑張ってる時も…アンタ、どっかにいたの?」
「いちいち確認すんな」
しまった、と言いたげに、蓮は自分の口元に手を当て、表情を隠そうとしている。しかし虎臣は容赦なく、蓮の言葉を追求した。
「離れていた間のこと、全部知ってんのかよ?十年間ずっと?」
「しつけえな。だからお前はガキだって言うんだ」
「…ストーカーじゃん、それ…」
「うるせえよ。自覚してる」
不機嫌な顔で横を向いてしまった蓮を、虎臣はまじまじ見上げる。
ぶすっとした表情に、隠しきれない後悔の色。彼が思わず口走ったことは事実で、しかも言うつもりのなかったことなのだろう。虎臣は思わず笑い出していた。
でも、笑いながら、泣いてしまう。
――全然、敵わないんだ…
千歳を取られてしまうと、牙をむいて喚く自分に対し、この男はどうだ。千歳が幸せなら、千歳が笑っていられるならと、熱い想いを自分の中へ封じ込んで。諦められないくせに、ただ見守るだけの立場を己に架した。
してくれないと、求めるばかりの虎臣。
何も求めず、与えるばかりの蓮。
どっちが千歳に相応しいかなんて、考えるまでもない。
「千歳さんが…本当に好きだったのに…」
ぐいぐい目元を拭いながら、切なく呟く虎臣は、初めての失恋を噛みしめる。
いつか千歳を独り占めして、身体も心も自分のものにしたかった。母親である理子からですら、奪う自信があったのに。
十年間、黙って千歳を見守っていた蓮のことを、諦めの悪い男だとも思うけど。まだ幼い自分では、ありったけの想いで立ち向かっても、全然敵わない。
こういう男だからこそ、千歳はいつまでも忘れられないのだろう。