二階にいた千歳が階段を駆け下りると、ちょうど一階のホールに蓮が姿を現した。くるくると右手で車のキーを弄んでいる蓮には、隠しようもない疲れが見える。
「蓮、虎くん送ってくれたの?」
「ああ…骨折には程遠いが、足首を捻ってたんでな。帰りは雷(ライ)に車で迎えに行かせる」
前髪をかき上げている仕草が、どうしようもなくだるそうだ。千歳は眉を寄せ、すぐそばで蓮の顔を見上げた。
「疲れてるのに、ごめんね…」
「構うな、ついでだ」
「ありがと」
「お前こそ、寝てなかったんだな」
「うん。ラジャさんと話してた」
「…そうか」
強くこめかみの辺りを押しながら、蓮はふと思い出したように口を開いた。
「…お前が帰ってからにすると言ってた」
「え?何を?」
脈絡のない蓮の言葉が良く理解できず、首をかしげる。蓮はそんな千歳を見て笑みを浮かべながら自室の前まで行き、扉の横に寄りかかった。
「あいつが、な。お前が京都から帰ってきたら、改めてちゃんと謝ると言っていた」
「そっか…」
「お前の方は、やけにさっぱりした顔、してんな」
蓮は大きな手で、千歳の前髪をかき上げてやる。
ダイニングを出て行ったとき、ぼろぼろ泣いていた千歳。あの時蓮は、虎臣のフォローをしてやるべきか、千歳の元に駆けつけるべきか、随分迷ったのだ。
「ん…ラジャさんと話したからかな?」
「ふうん?」
「いま苦しいなら、それを覚えていなさいって言われた。あとね、蓮が小さいときの話も、ちょとだけ教えてもらったんだ」
「俺の?」
「うん。お友達庇ったせいで、蓮が疑われて、榕子さんに叩かれたときの話。…覚えてる?」
「ああ、そんなこともあったな…」
ぼうっと視線を上げ、蓮は無意識に千歳の髪を撫でながら、幼い時の記憶を探す。
「ここの庭に隠れてたんだって?」
「ガキの頃はしょっちゅうだったぞ」
「庭に隠れちゃうのが?」
「俺も今よりは多少、可愛げがあったんだろうさ。これだけ広い屋敷だ。隠れる場所はいくらでもあるが、一人になるのは怖かったんじゃないか?」
他人事のように呟いた蓮は、ぼんやりとホールにある大きな窓に目をやって庭を眺めると「それに」と言葉を継いだ。
「庭にいると…何か、優しいもので包まれているように感じてたしな」
「優しい、もの?」
「ああ。居心地が良かったんだよ。見えていなくても、な」
懐かしそうに目を細めて呟いていた。
千歳が出会った頃にはもう、蓮は落ち着いた大人っぽい雰囲気だったから、なんだか意外な気がして。千歳はくすくす笑う。