原稿を受け取りに行ったぼくは、ひったくりに遭って、作家の先生から預かった大切な原稿を、奪われてしまったんだ。
最後まで出来る限り抵抗したんだけど、相手はバイクに乗っていたから。そのバイクに引きずられたぼくは、結局原稿を離してしまった。
どうしていいのかわからず、変な方向に曲がり脱臼した肩を抱えて。ぼくは動揺しながら、編集部に戻ることしか出来なかった。
原稿を書いた作家の先生が、もの凄く怒ってね。……もちろんぼくが悪いから、ぼく自身が怒られるのは、当然なんだけど。
今では珍しい、手書きの原稿。先生は編集部の誰が謝りに行っても、頑としてコピーを渡してくれなかった。
もう信用できないって。
お前のところでは仕事をしないって、すごく大きな声で怒鳴られた。
困り果てた編集長が、最後に頼ったのは東さんだった。東さんは部署が変わる前、この先生を担当していて、すごく気に入られていたから。
ぼくと一緒に謝りに行ってくれた東さんは、深く頭を下げ先生に謝罪してくれた。東さんは何も悪いことしてないのに、ぼくがそこまでさせてしまったんだ。
それを見た先生は、今まで激怒していたのが嘘みたいに穏やかな声で「東君にまで出てこられたら、しょうがないな」って、笑ってた。「君が担当だった頃は、けしてこんなこと起こらなかったのに。君はもう戻ってこないのかい?」って、残念そうに仰っていた。
東さんはいつもそんな感じ。いつもニコニコしていて、誰かを責めるところなんか、一度も見たことない。
その日も先生の家を出たあと、ぼくの方を向いて「ケガは大丈夫?」って言ってくれたんだ。
何一つ、文句を言われたりしなかった。
ぼくのせいですみません、って言ったんだけど。東さんは首を振って「運が悪かったんだよ」って。あの先生はちょっとワガママなところがあるけど、時間を置いて話せばちゃんとわかってくださる方だから、って。
ひったくりを予測することなんか出来ないけど、これからはお互い気をつけようって、東さんはぼくを見送ってくれた。
でもようやく受け取った原稿を持って編集部に戻ったぼくは、編集長から「もう君を置いておけない」って言われてしまったんだ。
東さんには本当に、最初から最後まで迷惑をかけてばかりだった。申し訳なくて俯いたままのぼくは、一階に着いたエレベーターから出て、改めて東さんに頭を下げる。
「色々とご迷惑をおかけして、本当にすいません。お世話になりました」
「待って、二宮くん。どこ行くの」
「どこって…帰ります」