【南国荘U-A】 P:04


 ぼくはもうこの会社のバイトではないし、たぶんこんな大きな会社、二度と足を踏み入れることもないだろう。
 東さんはちょっと深刻な顔になって、ぼくの顔を覗き込んだ。

「じゃあこの後は、とくに予定もないんだね?」
「はい…」
「だったら、ちょっとおいで」

 思ってもみなかった強い力で、脱臼したのと反対側の腕を掴まれる。ぼくの返事を聞かず、東さんは足早に歩き出した。
 なにか東さんを怒らせるようなことを、ぼくは言ったんだろうか。迷惑をかけ通しだったのは自覚しているけど。
 おろおろしながら、黙って一緒に歩く。
 優しい東さんまで怒らせてしまったことも、その理由が思いつかない自分の不甲斐なさにも、情けないのを通り越して悲しくなってくる。

 歩いていたのはほんの少しの間だったのに、沈黙が怖くてたどり着くまでの道が、とても長く感じた。
 東さんに連れて行かれたのは、出版社の裏通りにあるカフェ。まだ午前中だから、お客さんもあまりいない店内。
 一番奥の席に引っ張っていかれて、壁側の席に座るよう言われた。

「あの…東さん、ぼく」
「何でもいいから、頼んで。奢ってあげるから」
「いえ、あの」
「じゃあコーヒーでいい?」
「…はい」
「コーヒーふたつ」

 さっさと頼んでしまった東さんは、手にしていたコートやカバンを置き、じっとぼくを見つめる。
 真っ直ぐな視線に晒されたぼくは、どうしていいかわからなくて、もごもごとコーヒーのお礼を口にした。

「すいません…」
「いいよ、僕が引っ張ってきたんだから。それより二宮くん、これからどうするの?」
「これから?…もう帰るだけですけど…」
「そうじゃなくてこの先だよ。そのケガじゃ次のバイトなんて、決められないでしょ」

 そうか……東さんは怒ってるんじゃなくて、ぼくの行く末を気にしてくれているんだ。
 少しだけほっとしたぼくは、頬の緊張を緩めて頷いた。

「そう…。ケガの状態は?前田編集長から、かなり酷いみたいだって聞いたけど。お医者さんは治るまで、どれくらいかかるって言ってるの?」
「あ、の」
「うん」
「すいません…行ってないんです、病院」

 小さく呟いたぼくの言葉に、東さんは驚いて目を見開いている。

「脱臼だからって、甘く見ちゃダメだよ。酷いときは骨折よりも大変なんだから。後遺症でも残ったらどうするの?今のうちにちゃんと治療しておかなきゃ」
「す、すいません」
「謝ることじゃないでしょ。編集部から、お見舞金が出てるはずだよね?病院も紹介してもらったんじゃないの?」