そうして少しでも早く、東さんに借りたお金を返そう。全部返せたら……もう、会えないから。最後の時には改めて、ご迷惑をかけたことを謝ろう。
……この街にはたくさんの人がいるけど、誰もぼくに気付かない。
東京に出てきて、唯一ほっと出来たのはそれだけだ。
誰もぼくのことなんか気にしない。黙っていても、誰とも言葉を交わさなくても、生きていられる。
もし誰かがぼくの前で足を止めてくれたとしても、東さんにしたように迷惑をかけるだけなんだから。だったら誰にも、気づかれない方がいいんだ。
18時を少し回って現れた東さんは、行こうかって言いながら、ぼくの荷物を持ってくれようとする。慌てたぼくは、首を振って荷物を取り戻そうとした。
「いいです、自分で持てます」
「ケガ人が何言ってるの。ほら、行こう」
「でも、東さん」
「いいから。ね?」
「…すいません…」
ぼくは仕方なく一番小さいバッグだけを持って、東さんについていく。
駅に着いたら東さんが、さっさと切符を買って、ぼくに渡してくれた。
「あの、どこへ行くんですか?」
躊躇いがちに聞くと、東さんはにっこり笑って「僕の家」と答えた。
「え?」
「ここから一時間くらいだよ。次の駅で乗り換えたら、もう少し空いた路線になるから。ちょっとだけ我慢してね。身体、大丈夫?」
「それは、大丈夫ですけど…東さんの家って確か…」
「うん。とりあえず乗り換えて、空いてからにしようか」
混雑している電車に、東さんは苦笑い。確かにこう人が多くては、話すのも大変だから。言われたとおり、今は黙っていることにした。
途中の駅で乗り換えて、東京に出てきてから、まだ一度も行ったことのない郊外へ向かう。切符の金額を見ても、どこまで行くのか全く見当がつかない。
東さんの家って、どういう意味だろう?
確か同じ編集部にいたとき、東さんは社からそう離れていない場所に住んでいると聞いたことがある。都内でも一等地だ。
嫌味な同僚に「嫁さんのおかげだろ」って言われて、でも東さんは迷いもなく「そうなんです。奥さんの方が稼ぎがいいんですよ」って答えてた。
目的地がそこなら、こんな郊外じゃないはずだから。もしかして引っ越したのかな。
答えが見つからなくて、空いた席に座るよう言われたぼくは、目の前に立っている東さんを見上げる。ぼくの視線に気付いたのか、東さんは柔らかく微笑んでいた。
「今から行くのはね、僕の家というより、僕の友人の家なんだ」
「え…?」