彼の日本語はわかりやすくて、その意味をちゃんと理解できているのに。どうしてだろう?心の奥のほうで、理解するのを拒絶している。
レンを傷つけるのは嫌だよ。だからボクが諦めればみんな幸せなの?
……じゃあ、ボクはどうなるの。
「酷いこと言ってるね、オレ」
「…言ッテル。言ッテルヨ、ヒドイこと」
「うん…ごめんなさい。オレはどうにも、千歳さんのこととなったら、いまだに必死みたいで。…ちゃんと諦めたのに、蓮さんのこと笑えない」
でも正直な気持ちなんだ、と呟いたトラオミは、テーブルに置いていたボトルを取り上げた。
「咲良さんが幸せになったらいいって、思ってるのも正直な気持ちだよ。矛盾してるのはわかってるけど」
一生懸命、言い募ろうとしてくれているのはわかってる。でもボクはトラオミの顔を見ていられなくて視線を逸らせていた。
「本当にごめんなさい…オレ咲良さんが大好きだし、ギリシャから戻ってくるの、楽しみに待ってるから」
「………」
「酷いこと言ってごめんね…おやすみなさい咲良さん」
少しだけまだ何か言いたそうに、立ち止まっていたけど。言葉が見つからなかったのか、トラオミは静かに離れて行った。
ボクはしばらく、そこから動けなくて。
誰もいないダイニングに一人座ったまま、トラオミの言葉を何度も何度も思い出しては、答えの見つからない迷路の中で、さ迷っていた。
結局ボクはその夜、よく寝られなかった。
こんなこと初めてだ。
ぼーっとしたまま目を覚まして時計を見たら、起きようと思っていた時間から、二時間も過ぎていた。フライト時間には十分間に合うからいいんだけど、時計を見て驚いたよ。
少しでも目を覚まそうとシャワーを浴びたのに、頭の中にはまだ、トラオミの言葉がぐるぐる巡っている。
ボクがレンを恋人に出来たら、チトセが泣いて、レンが苦しんで、ボクが辛くなって。トラオミはそんなの見たくなくて。
でも諦められない気持ち、トラオミはわかってくれていて……じゃあボクは、どうしたらいいの?
答えなんか決まってる。
レンを諦められないんだがら、レンを好きだと思うまま、行動するしかない。でもそれじゃ誰も幸せになれない?
ギムナシオ(中学校)に通う少年から出されたのは、あまりに難しい問題だ。
実際に会ったレンが、もっとがっかりするような人だったら良かったのに。
でもレンはあまりにも魅力的で、五年の間に培われた想いはさらに大きくなっていて、簡単に消したり出来ないだろう。
いっそチトセとレンが、もう少し恋人らしく振舞ってくれたら、違う考えが浮かんだのかもしれない。
ああ、だから。
どうしてボクはそんな、諦める方法ばかり探してるの。後悔したくないから、日本へ来たはずなのに。