でも、今はあまり気にならない。
気にしていても仕方ないって、わかったからかな。
南国荘の住人は、人間もそれ以外の存在も、みんな自由に生活している。同じ家に住んでいるのに、伶志(レイシ)さんや雷馳(ライチ)さんとなんて、一日中顔を合わせないこともある。
ここではそれが普通なんだ。
顔を合わせれば言葉を交わし、同じ食卓を囲むときは、楽しく盛り上がる。でもそれ以上の干渉はしない。
誰かが「仕事があるから」と席を立っても、みんな「お疲れ様」って言うだけ。
冷たく聞こえるかな?
だけど彼らにはちゃんとした、信頼関係があるから。お互いに心地いい距離の取り方を、心得ているんだ。
榕子さんのためにお茶を淹れて、お昼までの時間、彼女の話を聞きながら過ごす。
昼食の用意は蓮さんがしておいてくれるから、降りてきた伶志さんたちと一緒に、それを食べる。
伶志さんたちはどうやら、家で仕事をしているらしい。疲れきった顔で何も言わないこともあるし、テレビをつけてわいわい騒がしく過ごすこともある。
何も出来ないぼくが、ただそこにいるだけの存在になってしまうこと、彼らは気にしないでいてくれる。
それがとても、心地よくて。
でも同時に、不安を煽るんだ。
そう、ぼくは、南国荘での生活に少しずつ馴染みながら、同じくらい不安に、心細くなっている。
この家で異質なのは、ぼくだけだから。
咲良さんは一時的に帰国するけど、戻ってきたら留学が終わるまで、この南国荘に住むことが許されている。彼の生活にかかる費用は、ギリシャのご両親から振り込まれることになっているらしい。
その金額のことで蓮さんは国際電話越し、咲良さんのお父さんと随分モメていたみたいだ。貰い過ぎだって言って、蓮さんは何度も断ろうとしていたけど、咲良さんのお父さんは「それくらい当然だ」って、聞き入れなかったみたい。
家主である榕子さんや蓮さんはともかく、東さん親子も、伶志さんたちも、南国荘にお金を入れている。
ぼくだけはがいまだに、迷惑をかけるばかりで、何も返せていないんだ。
ケガが治るまでは仕方ないよ、と東さんは言ってくれる。治ってから考えよう、って何度もぼくを説き伏せる。
だけどぼくは、辛くて仕方ないんだ。
ここで自立していないのは、ぼくだけ。
南国荘の人々は、自分の生活を成り立たせているからこそ、お互いに過干渉を避けて暮らしている。その中でぼくは、いつまで重荷になっていればいいんだろう。
お医者さんを出たところで、重苦しい溜息を吐いてしまうのは、毎日のことだ。
今日もぼくは「いつになったら仕事が出来ますか?」と問いかけ、お医者さんに首を振られた。
テーピングで固定された肩。たかが脱臼だと、軽く見たのが悪かったらしい。