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「じゃあ行ってきます。ラジャ、出来るだけ早く帰ってくるから」
何も見えない空中を見上げ、榕子さんはにこりと微笑んだ。おそらくそこには、ラジャさんという人がいるんだろう。
「あーちゃんも、後お願いね」
「はい。気をつけて行ってきて下さい」
「ありがと、行ってきま~す」
優しく微笑んだ榕子さんは、一昨日と昨日に引き続き、昼過ぎからお出かけだ。
あまり南国荘から出ようとしない榕子さんだけど、この三日は何か用があるらしくて、同じくらいの時間に出掛けていく。
行き先は聞いていないし、ぼくが聞く立場でもない。彼女にも何かするべきことがあるんだろう。
……ぼくと、違って。
ゆるく頭を振ったぼくは、榕子さんが見上げていたあたりの空中を見つめて、頭を下げた。
「榕子さんがいない間…よろしくお願いします」
何が、って聞かれてもわからない。
ラジャさんという人が、まだそこにいるのかどうかさえ。
でもこうして、見えない誰かにでも声をかけるのは、虎臣くんの影響だと思う。
彼は毎朝、ラジャさんにも挨拶を欠かさない。学校から帰ってきたときもだ。
どうして?と聞いた咲良さんに、虎臣くんは当然の顔で「だってそこにいるんだし」と答えていた。
彼のそういう柔軟な発想が、ぼくにはとても羨ましい。
虎臣くんは物事を受け止めるのが、とても上手いんだと思う。ラジャさんのことも、東さんのことも。もしぼくだったら、あんな風に自然に受け入れられなかっただろう。
母が再婚すると聞いたとき、ぼくは反対も賛成も出来なかった。
父は記憶に霞むくらい幼い頃、他界している。母が幸せになるのを、邪魔する気もなかった。
それでもぼくは、自分に訪れる新しい生活を思うと、不安で仕方なかったんだ。
新しい父親は、とても優秀な弁護士。
兄になる人も優秀で、人の先頭に立つタイプ。
引っ越すことになった家は、今までのアパートからは信じられないくらい、大きな家。
母だって、一人でぼくを育ててくれた、優秀なキャリアウーマン。
いきなり始まった新しい生活に、ぼくの不安は的中した。ぼくだけが、あの家で異分子だった。
それでも母には、迷惑をかけたくなくて。ぼくのことで彼女が悪く言われるのだけは、何としても避けなければならないと、思っていて。
……必死だった。
だから、どんなことにも逆らわなかった。
でもそこでの毎日が辛くて苦しくて。
ぼくはとうとう高校卒業と同時に、逃げ出してしまったんだ。
一人きりの南国荘。
何も出来ないぼくは、リビングのソファーに座って、嫌なことばかりを思い出す。