同じ学校に通っていた兄には、ずいぶん迷惑をかけたと思う。彼がぼくを憎むのは仕方ない。
何でも完璧にこなす兄にとって、突然押し付けられた愚鈍なぼくは、害毒以外の何者でもなかっただろう。
でもおとなしくしてさえいれば、兄はぼくのことで母を責めたりしないと、わかっていたから。
ただ、黙って。
じっと耐えて。
そんな態度がまた、兄を苛立たせた。
蓮さんを初めて見たとき、兄の姿を思い出して恐ろしかったのを覚えてる。今となっては、どうして蓮さんと兄を重ねたのか、わからないんだけど。
初めてぼくが勝手なことをして、家事に手を出してしまったとき。どんなに怒られるかと怯えていたぼくは、兄のことを思い出していた。
でも蓮さんは、一言もぼくを責めようとしなかったんだ。
ぼくのケガを気遣い、その上、ありがとうって。思ってもみなかった感謝の言葉を、口にしてくれた。
榕子さんも、虎臣くんも。
ぼくなんかがする些細なことに、わざわざお礼を言ってくれる。
それは単なる、挨拶みたいなものかもしれない。
でも、嬉しいんだ。
申し訳ないとも思うけど、誰かが自分に向かって、笑顔で感謝してくれるのが、こんなに嬉しいなんて知らなかったから。
何かできたらいいのに。
ぼくなんかを気遣ってくれる彼らに、ひとつぐらい返せるものがあればいいのに。
どうしてぼくは、こんなに不器用で、何も出来ないんだろう。
「二宮さん、ただいま」
暗く落ち込んでいたぼくに、明るい声をかけてくれる。
顔を上げて振り返った。
虎臣くんのきれいな瞳が、ぼくを映して笑っていた。
まだ、ここにいてもいいのかな。
この子が笑っていてくれる間は、もう少しだけ。
「おかえりなさい」
「…なんか、顔色悪い?」
「大丈夫だよ」
「そう?…ならいいけど。まだケガ治ってないんだし、あんまり無理しないでね」
「うん、ごめんね」
心配させてばかりだね。でも虎臣くんは気にしていないとでも言うように、笑っていてくれる。
「あ〜なんか、お腹すいた〜」
鞄を置いて呟いた言葉に、ぼくは腰を上げた。彼が帰ってきたら出してやれと、蓮さんに言われたんだ。
「ドーナツ食べる?蓮さんが虎臣くんにって、作って行ってくれたよ」
「ほんと?!やった。ちょっと甘いのが食べたいなって思ってたんだ」
「良かったね」
本当に嬉しそうな顔をしているから、ぼくまで幸せな気持ちになる。
「今日さ、クラスの女子が昼休み、弁当代わりにドーナツ食べてたんだ。その時は、昼メシの代わりにドーナツなんかありえない!って、思ったんだけど。見てたらすごい美味しそうだったんだよね」