懐かしい料理を前に、閉じたはずの箱が開いてしまいそうだ。
「ムサカ、ボクの大好きなリョウリ」
「ホント?良かった。蓮さん、朝から色々調べてたみたいだよ」
「ウレシイな…」
慣れない料理を作るのは、大変だっただろうに。
「咲良さん」
「…ナカ入って、トラオミ」
重そうなトレイを持つ少年のため、道を開ける。戸惑っていたようだけど、部屋へ入って机にトレイを置いたトラオミは、ボクを振り返り視線を上げた。
もしかして寝てないのかな?少し目が赤い。
「ごめんね…」
「ドウシテ謝るの?トラオミ、何も悪くナイヨ」
「でもオレ…他になんて言っていいか、わからない」
「………」
「何か上手く言えればいいのに…。咲良さんの顔見たくて、蓮さんからこれ、預かってきたんだけど…顔見たら、余計に何て言っていいか、わかんなくなっちゃった」
ゆっくり手を伸ばしたトラオミは、冷たい指先でボクの頬に触れて、切ない表情のまま少し首を傾げた。
「…泣いた?」
「トラオミ…」
「目、赤いよ」
「トラオミの目もアカイよ」
「ん…泣いてはいないんだけど、なんか、あんまり寝られなかった」
「ソウ…」
「オレ、関係ないのにね」
くしゃりと笑ったけど、すぐに眉を寄せてしまったトラオミのことを、思わずぎゅっと抱きしめる。
びくっと一瞬、慄いた細い身体。
でもトラオミはしばらくしてから、ボクの背中に手を回し、ゆっくり身体を預けてくれる。
「ねえ咲良さん…もう南国荘のこと、キライになった…?」
「………」
「日本にいるの、イヤになった?」
「トラオミ」
「ギリシャに帰りたい…?」
そっと手を緩めて、腕の中のトラオミを見つめる。彼の大きな瞳はボクを映して、泣きそうに潤んでる。
細い指がきゅうっと、ボクのシャツを掴んでいた。
「…帰らないでってワガママ言ったら、嫌われちゃうのかな…」
「言ってミタラ?」
「咲良さん…」
「チャント答えるヨ」
ボクが微笑みかけても、トタラオミは笑わない。
薄く開いた唇。
そこから零れた言葉は、とても甘かった。
「オレ、咲良さんと一緒に暮らしたい。南国荘のことも、オレのことも…嫌いになって欲しく、ないんだ…」
「ン…キライじゃナイ」
「…ほんと?」
「トラオミも、レンやチトセのコトも。南国荘のミンナ、ダイスキ」
優しく笑ってあげられた自分が、とても嬉しかった。
大好きだよ。ギリシャに帰ることや、南国荘を出ることなんて、本当に少しも考えなかった。
恋を失ったのはやっぱり辛い。だからといって、大好きな人たちを、嫌いになったりしない。
好きだよ、ともう一度囁いたボクを見て、トラオミの顔が綻んでいく。